オレンジデイズ
「旅行」という名の「研修」、
はたまた「研修」という名の「旅行」と言った方がいいのでしょうか。
諸塚村には、いろんな「旅行」があることを知りました。
「職員旅行」をはじめ、「青年旅行」、「消防旅行」、「役員旅行」、「婦人部旅行」、「寿会旅行」、「椎茸
部会旅行」・・・・・種類は様々ですがその多くは「研修」という目的も兼ねている(?)ようです。
残念ながら、私は都合が合わず青年旅行には行けませんでしたが、昨夏一度だけ役場の若手職員
の方々と私的旅行に出かけたことがあったんです。
↑ 一応「ブルーツーリズム」の研修だったのかな!?
写真後列の人達の座り方に違和感がありますが、伝統の"婦人会撮影ポーズ"らしいです。
若干年齢が離れた役場の皆さんとの旅行。
単身で諸塚村に乗り込んだ私にとっては、新しい「仲間」ができたような気がして年甲斐もなく学生時
代のようなノリで楽しんでしまったことを覚えています(翌日は、大変な思いをしましたけど・・・・。)
当初は"仕事"で来た感じが強かった諸塚村も、いつしか自然な生活の場となり、同世代(一応)の皆
さんと一緒に何かをする時は充実感もありました。
世代が若干違いますので、「あすなろ」で満足していた私に"オレンジ"な日々を与えていただいた・・・
といったところでしょうか?(意味不明ですみません。)
知らない土地に行った時に、このような存在があるのとないのでは全く違った2年間になっていたの
ではないでしょうか。
ここに"諸塚マジック"が隠れているわけですが、あまりに居心地が良すぎて村を離れる今が大変で
す。
だから、 またみんなと会いたくなったらSign出させてください。
さて。
次回は諸塚ブログ最終回!
最後くらいは日の明るいうちに更新するさて~(諸塚弁)
派遣の品格
諸塚村の派遣期間も間もなく終了。
諸塚ブログも残りわずかの数量限定です。
どっぷり諸塚村民として生活してきた2年間でしたが、元々は県から派遣された身ですので、当然な
がら「中山間地域における県の役割とは何だろう?」というテーマを考えながら過ごしてきました。
その答えは、この時期に至ってもはっきりわからないのが正直なところです。
そんなに簡単に答えが出るような問題だったら、今の派遣事業すらなかったかもしれません。
やはり地元あってこその「地域づくり」だと思いますので、県が直接地域づくりをすることは難しいと思
います。・・と言うよりはいつもそこに住んでいないので仕方がないですよね。
しかし、地域がやろうとしていることを応援し背中を押すことは、どこに住んでいても何の仕事をしてい
てもできることだと思うんです。
私の場合は、背中を押しているつもりが逆におんぶしてもらっていることに気付く方が多かったのです
が・・・・・。
山間地域に暮らす方にとって、そこでの生活の質や満足度が高ければそれが一番だと思いますし、
何かやろう!という取組があれば精一杯応援させていただく。
その「何かやろう!」のサインをキャッチするために、地域とのつながりを大事にしながらこれからもア
ンテナをたくさん張り巡らせよう。
派遣期間が終わる前になって、少しだけ真面目に決意表明させていただきました。
私としたことが。
↑ 記念すべき諸塚村で最初の「中山間盛り上げ隊」派遣( 南川公民館道路清掃作業 2009)
作業後にあまりにも充実感があったので、こちらもアンテナを張ってお待ちしておりま~す。
終わりなき旅
満員御礼です(↓)
3月28日。
諸塚在住時代としては最後のイベントとなる吉野宮神社座頭神祭が行われました。
(このお祭の歴史や由来については昨年書いたブログ(↑)に書いています。)
毎年必ず28日に行われるお祭ですが、今年は平日開催となったにもかかわらず村内外から多くの
参拝者がいらっしゃいました。
今年の目玉は、女流琵琶奏者の北原香菜子さんの初演奏(↑)
「目の神様」と云われる吉野宮神社の祭りでは、数年前から琵琶奏者をお呼びしているのですが、今
年初めて演奏された北原さんが奏でる音色は、優しい調べの中にも凛とした1本線があるような印象
を受け、青年団の仕事そっちのけで聴き入ってしまいました。
そして、こちらも登場!
↑ 地元南川チルドレンによる「子供神楽」です。
2月の南川神楽では深夜の時間帯に奉納される子供神楽も、昼間に見るとまた一味違って見えまし
た。
ニコニコしながら舞う子供達の笑顔が相変わらずまぶしかったですね。
(↑ 出番が終了した南川チルドレン)
この日、この子達から「寺原さん、今日で最後やね。頑張んないよ。泣きなんなね。」とねぎらい
(?)の言葉をいただきました。
このように大人の事情に詳しいのは子供と大人の"距離"が近い地域ならではでしょうか。
それにしても荒谷小学校の子供達には本当に癒されました。
諸塚の宝です!
さて、祭りも一段落するといつものように地域の「輪」が形成されます(↓)
諸塚村に来て最初に参加した行事は南川・梅の木の「観音祭り」。
そして、最後もまた南川の「座頭祭り」となり懐かしくもありましたが、これで終わりというわけではあ
りませんので湿っぽいのは抜きにしました。(えっ、十分湿っぽい!?)
"派遣期間"としては終わりでも、地域とのつき合いにわざわざ終わりを作る必要はないですよね。
だから、
また来ま~す。
↑ 祭り当日の朝、吉野宮から延岡方面を望む。
オススメ朝日スポットです!
諸塚のおいしんぼ -vol.5 てっぱん-
諸塚村にも"てっぱん"があるんです!
テレビに登場するお好み焼き屋さんも温かい雰囲気ですが、諸塚村の"てっぱん"こと「うさぎ屋」も
負けず劣らず温かく、村民の憩いの場の1つになっています。
お好み焼きブームの到来を先読みしたかのようなこちらのお店は、2009年10月にオープンしたば
かりのお食事処。
おいしいお好み焼きだけではなく、諸塚産のほうれん草など地元の食材や特産品を使ったオリジナ
ルメニューが次々と登場するお店で飽きることがありません。
そして、うさぎ屋さんには村で唯一のカラオケルームがあるんです。
このお店がオープンする前は歌いたい気分の日でもすぐには歌えず、わざわざ日向までカラオケに行
っていたものですが、おかげさまで曲の流行にも取り残されなくてすみました・・・。
さらに、店内をじっくり見ると、鉄板焼きやカラオケだけではなく店の内装からメニューの構成や見せ
方までオーナーさん(同じ高校出身!)の徹底した研究ぶりが窺えるんです。
(↑ うさぎ屋のスタッフの皆さん)
自称"こだわり屋"の私が一番心をくすぐられるのは「店に入った時と出る時」。
スタッフの皆さんから、いつも気持ちのいい「いらっしゃいませ~」と「ありがとうございました~」という
言葉をいただき、さらに「お疲れ様です。」という言葉までいただくのです。
私の場合は、食べ物よりもそんな些細なお心遣いで十分です。
1日の疲れを癒しながら飲んで歌える場所がある。
「村民ニーズ」と表現すると大げさに聞こえるかもしれませんが、諸塚ライフの質という意味では案外
大きな意味を持っているのではないでしょうか。
少なくとも私は、うさぎ屋さんに行くといつも必ず誰かと顔を合わせますので、少しだけ足を突っ込み
かけていた「一人酒」も遠のき、おかげで寂しい思いをしたことがありませんでした。
送別会シーズン真っ只中のこの時期。
このうさぎ屋さんのお好み焼きをもう一度食べておきたい今日この頃です。
また、食べにゆきます。
明日への扉
今年度、猪や鹿の食肉解体処理施設を整備した諸塚村では、先日、今後の食肉流通をどう図
っていくかを検討するための「販売戦略会議」を開きました。
この会議には、村内の猟友会や各婦人加工グループの皆さんなど猪・鹿肉の活用を図っていく上で
は欠かせないメンバーに加え、宮崎市のスーパー「FOODARY(フーデリー)」経営企画部の宮田
理恵さん、五ヶ瀬町出身でフードクリエーター等をはじめ東京で幅広く活躍されている寺本りえ
子さんのお二人をお招きし、"御意見番"として御参加いただいたんです。
久々に自分でも驚くほどいきいきするような会議でした~。
宮田&寺本コンビによる「マジック」といったところでしょうか!?
食肉活用の夢物語を語っているような、でも、夢ではなくしっかりと現実に持って行けそうな内容とな
り、お2人の豊富なマーケットの経験と研究、そして、圧倒されるほどのバイタリティーにはただただ
感服いたしました。
また、お二人には会議中の様子など、ツィッターを巧みに駆使しながら諸塚村の取組を情報発信して
いただきましたよ。
現場で捕獲する猟友会長さんも、特産品加工を行う婦人加工グループの皆さんも、出席者が身を乗
り出すように意見交換していた光景が印象的でしたね。
ちなみに、まずはイメージからということで、堅苦しい事業名称は捨てて「諸塚村いのしか村プ
ロジェクト」でやっていこうということになりました。
今後の展開が非常に楽しみなところですが、次回の会議までに1人1人が考えておく「お題」もいただ
いています・・・・・・・(あぁ、続きが見たい知りたい。)
夜は、御意見番のお二人を交えて、諸塚村のおいしんぼの一つ民宿「樹の里」で懇親会。
猟友会の次世代エースY君オススメの絶品猪肉料理(写真の右奥)も登場しました。
そして、ここでも宮田&寺本コンビのパワーと宮崎への熱い思いが満開。
こちらからお願いする前に「また来ますから!諸塚だけでなく五ヶ瀬も含めてみんなで頑張っていきま
しょう!」ともおっしゃってくれたんです。
話せば話すほど凄い人達とご縁ができたのだなぁ・・・と思いましたね。
諸塚村の特産品開発の「明日」に向けてまた一つ大きな扉が開いたような気がします。
↑ "御意見番"のお二人と諸塚村の特産品展開のキーパーソンもすっかり意気投合。
今回来村された宮田さんと寺本さんはツィッターで知り合ったそうですが、まるで昔からの友人みたい
だったのが印象的で、志が同じであれば時間は関係ないということを感じました。
そんなお二人から、私もツィッターのやり方を教わったんです。
私にとってはこちらも「明日への扉」になるのかもしれませんが、とりあえずパケット料金の設定という
最初の扉を開けてからじっくりはまろうと考えています。。
これも4月から!?・・・・・・・あと1週間。
諸塚メモリーズⅩ 「特産人」
諸塚村の思い出を辿るシリーズもいよいよ最終回。
最後は何と言いましても、諸塚村の非売品「特産人」のお話です。
2009年12月の当ブログでも既に取り上げていますけど、しつこく最後にもう1回!でございます。
『むらづくりは人づくりから』
戦後からいち早く社会教育に力を入れてきた諸塚村のキャッチフレーズのようなものでしょうか。
この2年間、いろんな地域でいろんな方と出会った私は、「こんなにしてもらっていいのだろうか・・」と
思うくらいにとても親切に接していただき、この「特産人」を諸塚村内のどの特産品よりも真っ先に宣
伝したいんですよね。
こんな事を書くと諸塚村の方から「そんな事はないよ~。」と言われそうですが・・・・・ご謙遜ですよ。
こういった村民性のようなものは、自然に滲み出るものであって意識して出せるものではないと思うん
です。
村外から来た私を地域のお祭りの「輪」の中に入れてくれ、
家に招いては泊めていただき、
伝統の神楽を舞わせてもらい、
風邪をひいたらショウガ湯を作ってきてくれ、
見かけたら声をかけてもらい、
時には叱咤激励。
そして今、「いつでも諸塚に帰ってきないよ。」と言ってくれる人がいる。
この村民性は、長い年月をかけて磨かれてきた地域の「宝」なのだと思います。
門外不出にできないところがもったいないような気もしますけどね。
さて、本来であればその「特産人」の方が写った写真をバーンと載せたいところですが、数が多すぎ
て特産人を特定した写真が掲載できませんので、今回はかわりにコチラ(↓)の写真で。
注目していただくのはロウソクの数字ではありません。。
役場で一緒に働いた同僚の方々に私の誕生祝いをしていただいた時のケーキですが、「ばるちゃん」
という文字まで入れてくれました。
些細なことではありますけど、先輩方や同年代の方からいつの間にかこんなにフレンドリーな呼び方
をしてもらうようになり、何だか距離感がなくなったようで嬉しかったのを覚えています。
ちなみに、新規職員を含む若い衆(主に20代)からの呼称は「ばーりー」・・・・・・・まっ、いいか(笑)
もちろん公私でちゃんと使い分けていただいているのですが、この親近感のある感じが私はたまらな
く好きでしたね。
私も諸塚村の"特産人検定"を受けてみようかな~。 (えっ、ムリ!?)
諸塚メモリーズⅨ 「輪」
『輪』を以て貴しと為す!?
ここ諸塚村では、『17条の憲法(聖徳太子)』のように明文化こそされていませんが、人と人とのいろ
んな輪(和)が至る所で自然に広がっています。
人口約1,800人の諸塚村。
地域における人と人とのつながりが大変深く、この私でさえも顔を見ればだいたいどの公民館に住ん
でいる人なのかが少しずつわかるようになりました。
ましてや同じ村民ともなると、その人の事や名前を直接知らなくても「○○さんの子よ」と親の名前を聞
けば一気にその一家の家族や歴史が解読されていくほど詳しい方がいらっしゃるほどです。
「人口は少ないけど顔見知りの人の数は私がこれまで住んだどの町よりも多い。」
・・・・そんな不思議な、でも当たり前のような日常がここにはあり、「数だけでは計れないもの」という
のが私の口癖になってしまいました。
この人々のつながりの強さの原動力は、昔から村民の方同士が築いてきた「輪」、そして自然に身に
つけてきた地域の「和」なのではないでしょうか。
輪の基本形は、飲み座で形成される「輪」。この輪の中から地域の「和」が見えてきます。
(↑写真は、私の原点「観音祭り」の風景です。)
↑ 諸塚村のお家芸「玉入れ」。 これも大きな団結力の輪(和)を作りますよ。
↑ 〈番外編〉 なば天。
食を通じてつながる輪(和)もあろうかと存じます。
そうそう、こんな輪(↓)もありました・・・・・・・・・・・・
仇討ち(団七踊り)の最中ではありますが、これも伝統と地区の方の熱い気持ちをつなぐ大事な輪の
一つです。
そして、2年間この輪(和)の中に入れていただいた私もまた、今度は村外で「諸塚の輪」を広げてい
きたいですね。
諸塚メモリーズⅧ 「道」
日本屈指の高密度道路網を有する諸塚村。
村内にくまなく整備された道路は、生活道路だけではなく林道・作業道など産業と直結する道路も多
く、山間地域という不利な条件を解消するための努力の結晶です。
その努力の一つが、地域住民自らで行う「生コン舗装作業」(↓)
たくさんの疲労感と充実感を味わえるこの作業は、諸塚村が誇る「協働」の醍醐味です。
道路の開設・舗装は、諸塚村に住む人にとっては生活に直結する問題であり、村政座談会等の場に
出される要望も道路に関する項目が大半を占めています。
林業の作業道も、作業の効率化を図り、「林業」という産業の環境を良くするためには必要不可欠な
もので、結果的には森林の保全につながっているのだと思います。
人間の体に例えれば「血管」とも言える道路。
コストを重視する考え方も大事ですが、山間地域における世帯間を結ぶ生活道路や産業に欠かせな
い作業道に関しては、必ずしもコストの話だけで論ずることはできないと思うんですよね。
(↑ 作業道)
いつか来た道。
あしたへと続く道。
生きる道。
「道」という言葉は本当に奥深くて好きです。
諸塚メモリーズⅦ 「森林」
諸塚村の面積の約95パーセントを占める森林。
宅地や農用地はわずか1パーセント程度で、高台から諸塚を眺めると点在する集落が山の懐に抱か
れているかのように見えます。
一見、ハンディキャップのように思える山間地域ですが、諸塚村ではこの豊かな森林を育て、資源と
して活かしながら様々な取組みがなされています。
特に、二酸化炭素を吸収する森林の機能に着目した「J-VER制度」にいち早く取り組んでいる
ことは、諸塚村が森林活用の「先進村」であることを実感するきっかけになりました。
諸塚村を象徴する景色の1つ「モザイク林相」(↑)にも、森林とともに歩んできた諸塚村の産業の
歴史が刻まれているかのようで、素晴らしい自然の芸術作品を作り上げています。
『自分達で森林を守ってきた、そして、これからも守っていく。』
そんな諸塚村のプライドのようなものを垣間見ることが度々ありました。
長く続く林業の低迷、域外への山林売却が問題として取り上げられる中、諸塚村の森林を守っていく
上でこの"プライド"が大事な要素となってくるのではないでしょうか。
それにしましても、この素晴らしい景色には何度癒されたかわかりません。
吸収してくれるのは二酸化炭素だけではないのかもしれませんね!?
山よ!