2011年3月の記事
オレンジデイズ
「旅行」という名の「研修」、
はたまた「研修」という名の「旅行」と言った方がいいのでしょうか。
諸塚村には、いろんな「旅行」があることを知りました。
「職員旅行」をはじめ、「青年旅行」、「消防旅行」、「役員旅行」、「婦人部旅行」、「寿会旅行」、「椎茸
部会旅行」・・・・・種類は様々ですがその多くは「研修」という目的も兼ねている(?)ようです。
残念ながら、私は都合が合わず青年旅行には行けませんでしたが、昨夏一度だけ役場の若手職員
の方々と私的旅行に出かけたことがあったんです。
↑ 一応「ブルーツーリズム」の研修だったのかな!?
写真後列の人達の座り方に違和感がありますが、伝統の"婦人会撮影ポーズ"らしいです。
若干年齢が離れた役場の皆さんとの旅行。
単身で諸塚村に乗り込んだ私にとっては、新しい「仲間」ができたような気がして年甲斐もなく学生時
代のようなノリで楽しんでしまったことを覚えています(翌日は、大変な思いをしましたけど・・・・。)
当初は"仕事"で来た感じが強かった諸塚村も、いつしか自然な生活の場となり、同世代(一応)の皆
さんと一緒に何かをする時は充実感もありました。
世代が若干違いますので、「あすなろ」で満足していた私に"オレンジ"な日々を与えていただいた・・・
といったところでしょうか?(意味不明ですみません。)
知らない土地に行った時に、このような存在があるのとないのでは全く違った2年間になっていたの
ではないでしょうか。
ここに"諸塚マジック"が隠れているわけですが、あまりに居心地が良すぎて村を離れる今が大変で
す。
だから、 またみんなと会いたくなったらSign出させてください。
さて。
次回は諸塚ブログ最終回!
最後くらいは日の明るいうちに更新するさて~(諸塚弁)
派遣の品格
諸塚村の派遣期間も間もなく終了。
諸塚ブログも残りわずかの数量限定です。
どっぷり諸塚村民として生活してきた2年間でしたが、元々は県から派遣された身ですので、当然な
がら「中山間地域における県の役割とは何だろう?」というテーマを考えながら過ごしてきました。
その答えは、この時期に至ってもはっきりわからないのが正直なところです。
そんなに簡単に答えが出るような問題だったら、今の派遣事業すらなかったかもしれません。
やはり地元あってこその「地域づくり」だと思いますので、県が直接地域づくりをすることは難しいと思
います。・・と言うよりはいつもそこに住んでいないので仕方がないですよね。
しかし、地域がやろうとしていることを応援し背中を押すことは、どこに住んでいても何の仕事をしてい
てもできることだと思うんです。
私の場合は、背中を押しているつもりが逆におんぶしてもらっていることに気付く方が多かったのです
が・・・・・。
山間地域に暮らす方にとって、そこでの生活の質や満足度が高ければそれが一番だと思いますし、
何かやろう!という取組があれば精一杯応援させていただく。
その「何かやろう!」のサインをキャッチするために、地域とのつながりを大事にしながらこれからもア
ンテナをたくさん張り巡らせよう。
派遣期間が終わる前になって、少しだけ真面目に決意表明させていただきました。
私としたことが。
↑ 記念すべき諸塚村で最初の「中山間盛り上げ隊」派遣( 南川公民館道路清掃作業 2009)
作業後にあまりにも充実感があったので、こちらもアンテナを張ってお待ちしておりま~す。
終わりなき旅
満員御礼です(↓)
3月28日。
諸塚在住時代としては最後のイベントとなる吉野宮神社座頭神祭が行われました。
(このお祭の歴史や由来については昨年書いたブログ(↑)に書いています。)
毎年必ず28日に行われるお祭ですが、今年は平日開催となったにもかかわらず村内外から多くの
参拝者がいらっしゃいました。
今年の目玉は、女流琵琶奏者の北原香菜子さんの初演奏(↑)
「目の神様」と云われる吉野宮神社の祭りでは、数年前から琵琶奏者をお呼びしているのですが、今
年初めて演奏された北原さんが奏でる音色は、優しい調べの中にも凛とした1本線があるような印象
を受け、青年団の仕事そっちのけで聴き入ってしまいました。
そして、こちらも登場!
↑ 地元南川チルドレンによる「子供神楽」です。
2月の南川神楽では深夜の時間帯に奉納される子供神楽も、昼間に見るとまた一味違って見えまし
た。
ニコニコしながら舞う子供達の笑顔が相変わらずまぶしかったですね。
(↑ 出番が終了した南川チルドレン)
この日、この子達から「寺原さん、今日で最後やね。頑張んないよ。泣きなんなね。」とねぎらい
(?)の言葉をいただきました。
このように大人の事情に詳しいのは子供と大人の"距離"が近い地域ならではでしょうか。
それにしても荒谷小学校の子供達には本当に癒されました。
諸塚の宝です!
さて、祭りも一段落するといつものように地域の「輪」が形成されます(↓)
諸塚村に来て最初に参加した行事は南川・梅の木の「観音祭り」。
そして、最後もまた南川の「座頭祭り」となり懐かしくもありましたが、これで終わりというわけではあ
りませんので湿っぽいのは抜きにしました。(えっ、十分湿っぽい!?)
"派遣期間"としては終わりでも、地域とのつき合いにわざわざ終わりを作る必要はないですよね。
だから、
また来ま~す。
↑ 祭り当日の朝、吉野宮から延岡方面を望む。
オススメ朝日スポットです!
諸塚のおいしんぼ -vol.5 てっぱん-
諸塚村にも"てっぱん"があるんです!
テレビに登場するお好み焼き屋さんも温かい雰囲気ですが、諸塚村の"てっぱん"こと「うさぎ屋」も
負けず劣らず温かく、村民の憩いの場の1つになっています。
お好み焼きブームの到来を先読みしたかのようなこちらのお店は、2009年10月にオープンしたば
かりのお食事処。
おいしいお好み焼きだけではなく、諸塚産のほうれん草など地元の食材や特産品を使ったオリジナ
ルメニューが次々と登場するお店で飽きることがありません。
そして、うさぎ屋さんには村で唯一のカラオケルームがあるんです。
このお店がオープンする前は歌いたい気分の日でもすぐには歌えず、わざわざ日向までカラオケに行
っていたものですが、おかげさまで曲の流行にも取り残されなくてすみました・・・。
さらに、店内をじっくり見ると、鉄板焼きやカラオケだけではなく店の内装からメニューの構成や見せ
方までオーナーさん(同じ高校出身!)の徹底した研究ぶりが窺えるんです。
(↑ うさぎ屋のスタッフの皆さん)
自称"こだわり屋"の私が一番心をくすぐられるのは「店に入った時と出る時」。
スタッフの皆さんから、いつも気持ちのいい「いらっしゃいませ~」と「ありがとうございました~」という
言葉をいただき、さらに「お疲れ様です。」という言葉までいただくのです。
私の場合は、食べ物よりもそんな些細なお心遣いで十分です。
1日の疲れを癒しながら飲んで歌える場所がある。
「村民ニーズ」と表現すると大げさに聞こえるかもしれませんが、諸塚ライフの質という意味では案外
大きな意味を持っているのではないでしょうか。
少なくとも私は、うさぎ屋さんに行くといつも必ず誰かと顔を合わせますので、少しだけ足を突っ込み
かけていた「一人酒」も遠のき、おかげで寂しい思いをしたことがありませんでした。
送別会シーズン真っ只中のこの時期。
このうさぎ屋さんのお好み焼きをもう一度食べておきたい今日この頃です。
また、食べにゆきます。
明日への扉
今年度、猪や鹿の食肉解体処理施設を整備した諸塚村では、先日、今後の食肉流通をどう図
っていくかを検討するための「販売戦略会議」を開きました。
この会議には、村内の猟友会や各婦人加工グループの皆さんなど猪・鹿肉の活用を図っていく上で
は欠かせないメンバーに加え、宮崎市のスーパー「FOODARY(フーデリー)」経営企画部の宮田
理恵さん、五ヶ瀬町出身でフードクリエーター等をはじめ東京で幅広く活躍されている寺本りえ
子さんのお二人をお招きし、"御意見番"として御参加いただいたんです。
久々に自分でも驚くほどいきいきするような会議でした~。
宮田&寺本コンビによる「マジック」といったところでしょうか!?
食肉活用の夢物語を語っているような、でも、夢ではなくしっかりと現実に持って行けそうな内容とな
り、お2人の豊富なマーケットの経験と研究、そして、圧倒されるほどのバイタリティーにはただただ
感服いたしました。
また、お二人には会議中の様子など、ツィッターを巧みに駆使しながら諸塚村の取組を情報発信して
いただきましたよ。
現場で捕獲する猟友会長さんも、特産品加工を行う婦人加工グループの皆さんも、出席者が身を乗
り出すように意見交換していた光景が印象的でしたね。
ちなみに、まずはイメージからということで、堅苦しい事業名称は捨てて「諸塚村いのしか村プ
ロジェクト」でやっていこうということになりました。
今後の展開が非常に楽しみなところですが、次回の会議までに1人1人が考えておく「お題」もいただ
いています・・・・・・・(あぁ、続きが見たい知りたい。)
夜は、御意見番のお二人を交えて、諸塚村のおいしんぼの一つ民宿「樹の里」で懇親会。
猟友会の次世代エースY君オススメの絶品猪肉料理(写真の右奥)も登場しました。
そして、ここでも宮田&寺本コンビのパワーと宮崎への熱い思いが満開。
こちらからお願いする前に「また来ますから!諸塚だけでなく五ヶ瀬も含めてみんなで頑張っていきま
しょう!」ともおっしゃってくれたんです。
話せば話すほど凄い人達とご縁ができたのだなぁ・・・と思いましたね。
諸塚村の特産品開発の「明日」に向けてまた一つ大きな扉が開いたような気がします。
↑ "御意見番"のお二人と諸塚村の特産品展開のキーパーソンもすっかり意気投合。
今回来村された宮田さんと寺本さんはツィッターで知り合ったそうですが、まるで昔からの友人みたい
だったのが印象的で、志が同じであれば時間は関係ないということを感じました。
そんなお二人から、私もツィッターのやり方を教わったんです。
私にとってはこちらも「明日への扉」になるのかもしれませんが、とりあえずパケット料金の設定という
最初の扉を開けてからじっくりはまろうと考えています。。
これも4月から!?・・・・・・・あと1週間。
諸塚メモリーズⅩ 「特産人」
諸塚村の思い出を辿るシリーズもいよいよ最終回。
最後は何と言いましても、諸塚村の非売品「特産人」のお話です。
2009年12月の当ブログでも既に取り上げていますけど、しつこく最後にもう1回!でございます。
『むらづくりは人づくりから』
戦後からいち早く社会教育に力を入れてきた諸塚村のキャッチフレーズのようなものでしょうか。
この2年間、いろんな地域でいろんな方と出会った私は、「こんなにしてもらっていいのだろうか・・」と
思うくらいにとても親切に接していただき、この「特産人」を諸塚村内のどの特産品よりも真っ先に宣
伝したいんですよね。
こんな事を書くと諸塚村の方から「そんな事はないよ~。」と言われそうですが・・・・・ご謙遜ですよ。
こういった村民性のようなものは、自然に滲み出るものであって意識して出せるものではないと思うん
です。
村外から来た私を地域のお祭りの「輪」の中に入れてくれ、
家に招いては泊めていただき、
伝統の神楽を舞わせてもらい、
風邪をひいたらショウガ湯を作ってきてくれ、
見かけたら声をかけてもらい、
時には叱咤激励。
そして今、「いつでも諸塚に帰ってきないよ。」と言ってくれる人がいる。
この村民性は、長い年月をかけて磨かれてきた地域の「宝」なのだと思います。
門外不出にできないところがもったいないような気もしますけどね。
さて、本来であればその「特産人」の方が写った写真をバーンと載せたいところですが、数が多すぎ
て特産人を特定した写真が掲載できませんので、今回はかわりにコチラ(↓)の写真で。
注目していただくのはロウソクの数字ではありません。。
役場で一緒に働いた同僚の方々に私の誕生祝いをしていただいた時のケーキですが、「ばるちゃん」
という文字まで入れてくれました。
些細なことではありますけど、先輩方や同年代の方からいつの間にかこんなにフレンドリーな呼び方
をしてもらうようになり、何だか距離感がなくなったようで嬉しかったのを覚えています。
ちなみに、新規職員を含む若い衆(主に20代)からの呼称は「ばーりー」・・・・・・・まっ、いいか(笑)
もちろん公私でちゃんと使い分けていただいているのですが、この親近感のある感じが私はたまらな
く好きでしたね。
私も諸塚村の"特産人検定"を受けてみようかな~。 (えっ、ムリ!?)
諸塚メモリーズⅨ 「輪」
『輪』を以て貴しと為す!?
ここ諸塚村では、『17条の憲法(聖徳太子)』のように明文化こそされていませんが、人と人とのいろ
んな輪(和)が至る所で自然に広がっています。
人口約1,800人の諸塚村。
地域における人と人とのつながりが大変深く、この私でさえも顔を見ればだいたいどの公民館に住ん
でいる人なのかが少しずつわかるようになりました。
ましてや同じ村民ともなると、その人の事や名前を直接知らなくても「○○さんの子よ」と親の名前を聞
けば一気にその一家の家族や歴史が解読されていくほど詳しい方がいらっしゃるほどです。
「人口は少ないけど顔見知りの人の数は私がこれまで住んだどの町よりも多い。」
・・・・そんな不思議な、でも当たり前のような日常がここにはあり、「数だけでは計れないもの」という
のが私の口癖になってしまいました。
この人々のつながりの強さの原動力は、昔から村民の方同士が築いてきた「輪」、そして自然に身に
つけてきた地域の「和」なのではないでしょうか。
輪の基本形は、飲み座で形成される「輪」。この輪の中から地域の「和」が見えてきます。
(↑写真は、私の原点「観音祭り」の風景です。)
↑ 諸塚村のお家芸「玉入れ」。 これも大きな団結力の輪(和)を作りますよ。
↑ 〈番外編〉 なば天。
食を通じてつながる輪(和)もあろうかと存じます。
そうそう、こんな輪(↓)もありました・・・・・・・・・・・・
仇討ち(団七踊り)の最中ではありますが、これも伝統と地区の方の熱い気持ちをつなぐ大事な輪の
一つです。
そして、2年間この輪(和)の中に入れていただいた私もまた、今度は村外で「諸塚の輪」を広げてい
きたいですね。
諸塚メモリーズⅧ 「道」
日本屈指の高密度道路網を有する諸塚村。
村内にくまなく整備された道路は、生活道路だけではなく林道・作業道など産業と直結する道路も多
く、山間地域という不利な条件を解消するための努力の結晶です。
その努力の一つが、地域住民自らで行う「生コン舗装作業」(↓)
たくさんの疲労感と充実感を味わえるこの作業は、諸塚村が誇る「協働」の醍醐味です。
道路の開設・舗装は、諸塚村に住む人にとっては生活に直結する問題であり、村政座談会等の場に
出される要望も道路に関する項目が大半を占めています。
林業の作業道も、作業の効率化を図り、「林業」という産業の環境を良くするためには必要不可欠な
もので、結果的には森林の保全につながっているのだと思います。
人間の体に例えれば「血管」とも言える道路。
コストを重視する考え方も大事ですが、山間地域における世帯間を結ぶ生活道路や産業に欠かせな
い作業道に関しては、必ずしもコストの話だけで論ずることはできないと思うんですよね。
(↑ 作業道)
いつか来た道。
あしたへと続く道。
生きる道。
「道」という言葉は本当に奥深くて好きです。
諸塚メモリーズⅦ 「森林」
諸塚村の面積の約95パーセントを占める森林。
宅地や農用地はわずか1パーセント程度で、高台から諸塚を眺めると点在する集落が山の懐に抱か
れているかのように見えます。
一見、ハンディキャップのように思える山間地域ですが、諸塚村ではこの豊かな森林を育て、資源と
して活かしながら様々な取組みがなされています。
特に、二酸化炭素を吸収する森林の機能に着目した「J-VER制度」にいち早く取り組んでいる
ことは、諸塚村が森林活用の「先進村」であることを実感するきっかけになりました。
諸塚村を象徴する景色の1つ「モザイク林相」(↑)にも、森林とともに歩んできた諸塚村の産業の
歴史が刻まれているかのようで、素晴らしい自然の芸術作品を作り上げています。
『自分達で森林を守ってきた、そして、これからも守っていく。』
そんな諸塚村のプライドのようなものを垣間見ることが度々ありました。
長く続く林業の低迷、域外への山林売却が問題として取り上げられる中、諸塚村の森林を守っていく
上でこの"プライド"が大事な要素となってくるのではないでしょうか。
それにしましても、この素晴らしい景色には何度癒されたかわかりません。
吸収してくれるのは二酸化炭素だけではないのかもしれませんね!?
山よ!
諸塚メモリーズⅥ 「伝統」
想い出に変わるにはまだ早い!?
この三連休の間に、再び南川神楽を舞わせていただく機会を与えていただきました。
場所は南川公民館・松原地区の集会所。
私が初めて南川神楽を舞ったこの場所で、当地区が祀る「稲荷様」のお祭りが行われたのです。
南川神楽終了後に各地区ごとに行われる祭りの中では一番最後でした。
集会所の雰囲気がとても懐かしく、時折最初の年の練習風景を思い出しながら、これまでの中で一
番リラックスした気持ちで舞うことができたような気がします。
わずか2年の経験しかない私がこのように感じるくらいですので、この地で育った人達にとっても神
楽、あるいは伝統行事は「特別な存在」になっているのではないでしょうか。
南川神楽の時、子供からお年寄りまでみんなが集まり、村外からも多くの人が帰ってきている光景を
目にしました。
神楽の他にも、諸塚村内には「団七踊り」等の伝統芸能や春と秋の祭りなど、各地域に様々な「伝
統」が受け継がれており、それらの伝統が大きな「求心力」となって地域の原動力を作っているように
思えるんですよね。
そして、この「伝統」という領域に私をはじめ村外から来た人に参加の機会を与えていただいていると
ころに『また諸塚に来たい』と思わせる"伝家のかすがい"が潜んでいるのかもしれません。
(↑ 久々の松原地区からの眺め)
さてさて、「2時の松原」と豪語したのも今は昔。
1時40分ごろには就寝させていただき、悪しき「伝統」にならないように努めました。
松原地区にもまたいつか。
諸塚メモリーズⅤ 「青年」
来週に行われる吉野宮神社「座頭祭り」をもって南川青年団を引退いたします。
村内の青年団の"定年"は35歳。
多くは結婚等を機に35歳を待たずに退団するそうですが、いつの間にか私もそう長くは続けられない
年齢にもなっていたわけです。
思えば2年前、当時既に最年長級の32歳だった私は青年団の活動が何たるかも知らず誘われるが
ままに入団したわけですが、結果的には素晴らしい経験をさせていただいたと思っています。
自らのセリフの棒読みに悩まされた南川秋祭りの劇(↑)、
クマバチの飛来に怯えた真夏の下刈り作業(↑)・・・・・と、生まれて初めて経験する事の連続にとま
どいを感じながらも、自分達の住む地域を盛り上げるための青年活動は、私が諸塚村で暮らす上で
の"スパイス"となりました。
そして何よりも、青年活動を通じてまた新しい人間関係が構築できたことは大きな財産で、年齢に関
係なく親しく接してもらったことに感謝しています。
さて、
以前は村内16公民館全てにあった青年団も、現在は数地区(一部は合併)のみとなり、村全体で
30人にも満たない状況となっているようです。
我が南川青年団でも、たまに「あと何年続けられるかな・・・」といった会話になることがあり、そんな
話題になると寂しくなってしまいます。
時には活動がきついと感じることもありますが、青年達にとっては貴重なコミュニケーションの場でも
ありますし、先輩方と一緒に地域の行事を作り上げていく青年団の存在は地元の活力ですので、い
つまでも続いてほしいですね。
私も今いるメンバーが現役の間は応援団として可能な限り駆けつけ協力したいと思っています。
(劇のスポット係として!?)
(↑ 夏目君の送別会 柳原食堂にて)
青年よ永遠なれ!
諸塚メモリーズⅣ 「最強婦人」
南川公民館婦人部が村外進出!!
南川秋祭り2009で会場を沸かせたあの「南川女子十二楽坊」(ある時は「十一楽坊」)が、とある大
会で観客の目に止まり、県大会で披露することになったそうなのです
(※かれこれ2ヶ月ぐらい前の話で、ある業界関係者から特別に写真を入手いたしました。)
おそらく、南川婦人部のすさまじいパワーとパフォーマンスが会場を沸かせたことでしょう。
南川の婦人部だけではなく、村内16公民館のどの地区の婦人部の皆さんも殿方顔負けのパワーを
持っていると思います。
(↑ 飯干公民館の秋祭りでも・・・・・・・。)
婦人部の元気は、諸塚村の元気に直結している。
イベントや伝統行事が多く、婦人部の強力なバックアップが不可欠な諸塚村ではそう感じることがた
びたびあるんです。
大勢の方をまかなう料理等の準備から、"ガールズコレクション"やダンスのような盛り上げ役まで本
当に頭が下がりますね。
このような婦人のパワーが形になったものの一つが、この人口1,800人弱の諸塚村内に6つもある
「婦人加工グループ」の存在だと思いますし、そういった意味でも諸塚村の婦人は「最強」なのではな
いでしょうか。
ちなみに、村の中心部からや各地区間の移動に車が欠かせない諸塚村では、男性陣が飲ミニケー
ション(飲酒)をする場合に婦人の方々が迎えに来られます。
これまた大変な御苦労をおかけしているわけですが、せっかく迎えに来ているのにあまり待たせすぎ
ると「最恐婦人」へと変貌しないか見ているこちらの方がドキドキしてしまいます・・・・。
たまには、七ツ山公民館のような「かあちゃん祭り」を村内各地でも実施して息抜きさせてあげた方
がいいかもしれませんね!?
諸塚メモリーズⅢ 「教育」
車を運転していると、登校中の小中学生が運転している私に向かって挨拶をしてくれる・・・・・・
私が諸塚村で強いインパクトを受けた光景の1つでした。
私が小学生の頃は、通りすがりの方に挨拶をする習慣はまだありましたが、さすがに運転手までは
しませんでしたから驚きましたね。
↑ 諸塚中学校のグランドのフェンスにも「めざせあいさつ日本一」という看板が掲げられています。
仕事で諸塚中学校の前を通った時にも、清掃中の中学生が手を止めて一斉に運転中の私に挨拶し
てくれたこともありましたが、やはり嬉しい気持ちがして、何だか「寺原様、行ってらっしゃいませ!」と
VIP待遇を受けているような気になりましたね・・(完全な勘違いです。)
このような挨拶をはじめ、私達大人が感心させられるような場面がたくさんあり、その度に子供から青
年・大人に至るまで幅広く「教育」に力を入れている諸塚村の原点を見てきました。
もっとも、当の本人達にしてみれば特別な事をしているわけではなく「当たり前」の事のようでしたが。
(↑ こういった場面でも)
中学卒業後は親元を離れるという「宿命」を背負っている諸塚村の子供達。
昨日、諸塚中学校の卒業式が執り行われました。
しっかりしている・・・・・とは言いましてもまだ15歳。
新生活への期待の一方で、不安もたくさんあるとは思います。
諸塚村の教育や伝統で育まれた素晴らしい個性が、進学先でも周囲に好影響を与えてくれるのでは
ないかと確信しています。
またいつか大きく成長した諸塚っ子達に会えるのを楽しみにしています。
でもその時はもう「ドドスコ踊り」させないでね(笑)
ガンバロー!
諸塚ガッツでガンバロー!
諸塚ガッツでガンバロー!!
諸塚ガッツでガンバロー!!!
諸塚メモリーズⅡ 「消防と救急」
「役場の駐車場に消防車と救急車がある・・・・・・・・。」
赴任初日、総務課長に役場内を案内していただいた時にまず最初に目に飛び込んできた光景でし
た。
今回のキーワードは「消防」と「救急」。
自分達で消火活動を行う「非常備」と呼ばれる形態の諸塚村では、消防団員をはじめ村民の方の
消防に対する意識が高く、そして、最優先事項。
火災や交通事故が発生すれば、急ぎの仕事があっても団員は集合し現場に向かいます。
今となっては当然のことと思えますが、それまで「消防は消防署のお仕事」という感覚であった自分
にとって、この「団員としての意識」をもつまでには時間がかかりました。
いや、ひょっとすると今でもまだまだ足りないような気がします。
消防は独特の世界。
・・・・2年間の経験で感じた私の率直な感想です。
規律訓練、小型ポンプ操法訓練、消防出初式、ラッパ隊・・・・様々な体験をさせていただきました
が、今年の1月以降の火災現場では、「行事」としての消防ではなく「現実」の消防を垣間見ました。
けれども、普段の「行事」が単なる行事ではなかったということも少しだけわかるような気がするんで
す。
そして、もう1つ。
役場の駐車場にある救急車の運転手は、他ならぬ役場職員。
先日も交通事故で負傷された方を延岡の病院まで救急車で搬送しました。
助手席に同乗した私は、あらためて役場職員の方が背負っている役目と責任の大きさを感じ、これも
また諸塚村のプライドを培っている「根っこ」の部分なのだと思いました。
山間地域に住む方々のこれらの高い意識を活かすためにも、消防設備や医療体制のさらなる充実が
望まれます。
諸塚メモリーズⅠ 「諸塚方式」
3月も中旬に入り今年度も残すところあと半月。
最近、私が住む家の前を流れる川からは、ある生物の鳴き声が聞こえてくるようになりました。
その生物の名前が何なのかは未だにわかりませんが、私が諸塚村に越してきた時期にも聞こえてい
たどこか懐かしい音です(私の予想では「かじか」!?)。
これから、このような些細なメモリーの数々とともに、この2年間私が暮らしてきた「諸塚村」という村を
キーワードごとに振り返っていきたいと思います。
今回のキーワードは「諸塚方式」。
諸塚村内の16地区で行われている諸塚特有の自治公民館活動のことを指しています。
諸塚村内の全ての村民は各公民館に属し(加入率100%!)、公民館長を中心に教養部・社会部・
産業部・体育部の4つの機能部のほか、婦人部・青年部・寿会・子ども会の部会まで細かく役割分担
がなされています。
私が感心させられたのは各公民館の伝達力。
何事も話し合いで調整、決定されるとともに、役場等からの連絡事項をはじめ決定されたことは約
80の実行組合を通じて村民1人1人に確実に伝達され、そして実行されていくんです。
自治公民館と行政の関係は、よく"諸塚村"という車の「両輪」と表現され、お互いが連携しなが
ら地域の課題解決や各種事業が行われています。
この「諸塚方式」と呼ばれる自治公民館活動は、戦後にいち早く確立され、約60年近くにわたる村税
の完納や選挙での高い投票率、さらには各公民館民による道路の生コン舗装作業・・・など、村民総
参加によるむらづくりは他地域からも評価されているんです。
この自治公民館活動の積み重ねが、諸塚村内のどの話題を挙げても欠かせない「諸塚村民のプラ
イド」を培ってきたのかもしれませんね。
弁当男子への道
昨日諸塚村を巣立った緑のふるさと協力隊の夏目さんから、旅立つ前にあるプレゼントをいただきま
した。
それは、木で作られたものでした(↓)
「まさか中に(私の苦手な)クワガタとか入れてないよね?」・・・と、一瞬だけ得意技の「疑心」が芽生
えたものの、私がずっと欲しがっていた「めんぱ」だったものですから大感激!
フタを開けると、アメ玉がびっしり!(↓)
「最近ごっとりとプリン体摂取しているのにこれ以上太らせる気かい!?」・・・とまたしても必殺「疑
心」が生じたものの、夏目さんの粋な計らいに感謝です。
さて、この「めんぱ」は木を折り曲げて作った弁当箱で、林業の盛んなここ諸塚村でも作業現場に
持っていっている方をよく見かけます。
弁当箱ですので、当然ながら通常はアメ玉ではなくご飯が入っていますよ。
ある方曰く「めんぱにご飯と漬け物と塩サバが入っていれば十分!」・・・なのだそうで、たしかに、木
がご飯の水分を吸い取ってくれるのか、あまりべちゃべちゃせず見た目もおいしいですね。
諸塚村内にもこのめんぱ作りに取り組む工芸士の方がいらっしゃるんです。
なかなか時間が合わずついに作り方を習いに行けなかった のが残念ですが、とにもかくにも念願の
めんぱ入手に満足している今日この頃です。
ずっと欲しかった「めんぱ」を入手した以上、私が進むべき道は「弁当男子」。
毎日、この「めんぱ」に哀愁たっぷりのご飯と梅干しと塩サバを入れて節約し、将来の諸塚産直住宅
の建設 資 金を貯め たいと 思います(笑)
とりあえず4月から。
(3月中は村内の飲食店のランチを腹いっぱい堪能させていただきます!)
坊っちゃんがゆく ~旅立ち編~
3月9日。
緑のふるさと協力隊の夏目さん(↑)が、諸塚村での約1年間にわたる活動を終え卒業。
この1年間、持ち前のコツコツした努力でどの現場でも一生懸命取り組んでいただき、そのため、村
民の皆さんからとても大事にされる存在でした。
出発の時、役場の皆さんが車が見えなくなるまで手を振ってくれていた光景が夏目さんの人柄を示し
ています。
夏目さんと私は、「隊員と受入自治体の担当者」という"仕事の関係"、そして同じ村外から来た者同
士という独特の関係で、諸塚村での毎週・毎日の活動計画を考えながら、期間限定の諸塚デイズを
共に歩んできました。
村外から来た私にとって、隊員の活動先を考えるのは一苦労。
「より多くの地域で活動してもらいたい。」という考えはありましたが、いざやってみるとなかなか難し
いものだなと感じることもありました。
また、デスクワーク中心の私と異なり、地域に直に貢献できる隊員が羨ましく感じる・・・・など様々な
葛藤が生じることもありました。
しかし、そんなモヤモヤが吹き飛んだのは夏目さんの送別会の時。
挨拶の中で、「担当者が同じ村外から来た人だったので、ひと味違った活動ができた。」という言葉を
もらいぐっとこみ上げてくるものがありました。
あ、これ「解禁!マル秘ストーリー」並みのエピソードですよ(笑)
夏目さんの担当を通じて、私自身が「地域」を勉強させてもらっていたのかもしれません。
宮崎空港まで見送った帰り、小さくなっていく羽田行きの飛行機を見ながらそんな事を考えました。
さて、これまで1年にわたり当ブログで「坊っちゃん」と呼んできた夏目さん。
1年間の諸塚村での活動を終え大きく成長された今、"坊っちゃん"と呼ぶには少々違和感が生じてき
ました。
(↑ 産業課送別会にて)
「諸塚に残りたい」という気持ちがある夏目さんですが、いったんは他の地域で農業振興についてさら
に勉強するため、諸塚村から巣立っていきます。
個人的には、村に「残る」だけが全てではなく、隊員活動終了後も諸塚村と何らかの形で「つながっ
ていく」という関係が構築できただけで大きな収穫だったのだと思っています。
夏目さんにとっても諸塚村にとっても。
それでは、今後の夏目さんの活躍を遠く宮崎の地で祈っています。
1年間お疲れ様でした。 そして、ありがとう!
日本一の霧隠才能
今年も日本一に名乗り!
諸塚村を象徴する諸塚山の山開きが3月6日(日)に行われました。
標高1,341メートルの諸塚山は、1,000メートル級の山では日本で一番早い山開きと云われて
おり、この山開きの前日までは積雪がありました。
「春はアケボノツツジ」ですこぶる有名な諸塚山でもございます。
この諸塚山の山頂アタックに挑戦するべく、多くの登山者の方が各地から来村されていました。
テープカットに代わる「ウッドカット」(↑)は、森林を守る村・諸塚村らしい光景です。
私も通算4度目となる山頂アタックに若さで挑戦!・・・・とはいかず、今回は3月を乗り切るための体
力温存のため回避させていただきました。
だって、霧で何も見えなかったんだもの(2年連続の空模様!)
・・・というわけではなく、昨年はイベント広場をあまりゆっくり見ていなかったので、今年は志願して居
残らせていただいたんです。
その霧の中、今や諸塚村のイベントには欠かせない「村民バンド」が登場しました。
「春」をテーマとした曲目構成で、「どれだけ涙腺を刺激するんですか?」と言いたくなりそうなくらいに
私の得意分野である懐メロ攻勢でした。
霧の中で聞く音楽も趣があっていいものですね。
霧の中だからこそ感じたことなのかもしれませんが、視界が悪い中で聞いていると、どこぞから名の
あるバンドを呼んできたのでは?と思う瞬間があるほど聴き応えがありました。
・・・・ということは、見てしまうと少々毒舌のK君にしか見えないわけです(笑)
まさに日本一の山開きイベントの霧の中で発見した才能。
気付くの遅すぎ?
量と質
1月の消防出初式以降、諸塚村では4件の火事が発生しました。
空気が大変乾燥していたことも影響しているのでしょうか。
こんなに続く年は非常に珍しいそうです。
原野から家屋火災まで様々でしたが、幸いケガ人はありませんでした。
私も本部団員として出動しました。
・・・・・・が、これまで火事の現場を経験したことがなかった私は、現場に行った時に自分が何をなす
べきかという問題にぶち当たります。
一刻を争う時にぼーっと誰かの指示を待っているわけにはいかない、けれど、勝手な行動もできない
といった迷いのようなものです。
そんな時、ベテランの団員の方がテキパキと器具を準備し、水利を確保し、ホースをつないで消火に
入る姿が飛び込んできました。
やがて村内各地から他の団員もかけつけ、地区の方も入って地域総出で消火活動にあたります。
火災が発生した場合、地元の消防団員が自分達で消火活動を行う諸塚村(「非常備」という形態)
では、火事が発生すれば、休日の夜半であろうが、会議中であろうが、作業中であろうが、みんなが
駆けつけます。
そして、団長や部長の指揮の下、自分のなすべきことを判断して動いていくんです。
団員が多い方がいいように思いがちだけれども、量の問題ではなく、「現場で何をなすべきか。」を冷
静に的確に判断できる団員としての『質』(意識)の高さこそが求められるのではないか・・・・・・
滅多に起こらない火災の現場で、迅速に対応している諸塚村の消防団の姿にそれを強く感じた今冬
でした。
↑ 火災の翌日、役場の立体駐車場に消火活動に使用した無数のホースを干しました。
鎮火の安堵感が伝わってくるような光景です。
スピリチュアル村
最近、ご先祖様を祀る神棚や仏壇に手を合わせたのはいつになりますか?
諸塚村のとある地区のある御家庭で迎えたある朝。
前の日から泊まらせていただいたその御家庭では、小学生や中学生くらいのお子さんが仏壇にご飯
や水を運び、手を合わせていました。
朝だけではなく、 地域行事等で1軒1軒を「家回り」する際にも、家を訪れた方がまずはじめにその
家の仏壇に手を合わせるという地域もあるんです。
もちろん、これは諸塚村の全世帯で目にしたわけではありません。
仏壇等を置いていない家もありますし、地域によって慣習も異なりますので、「諸塚村」だけがやって
いる特別なことではありませんが、仮に一部地域のことでも私には考えさせられることがありました。
自然や先祖などに対する感謝の気持ち。
春と秋の祭りや神楽等の伝統行事の場でも見受けられるように、村内の多くの地域がそのような「考
え方」を根底にもっているように感じることがあるんです。
何か「特別な事」としてではなく、ごくごく「自然」な形として・・・・・・・・。
最近、村内の神社・仏閣や自然を探訪する「スピリチュアルツアー」なるものも本格的に開始した諸
塚村ですが、それらの派生、あるいは根底にあるものとして私が目にした「手を合わせる」という姿勢
があるような気がしてなりません。
ご先祖様や土地を守ってきた先代の人々の努力や苦労がなければ今の自分という存在はないわけ
ですから。
ちなみに、かく言う私も実家に帰った時には、神棚になるべく炊き立てのご飯や水を上げるようにして
いるんですよ。
たっぷりと愛情を注いでくれた大事なご先祖様ですので。
対象が何であれ、「感謝」という考え方は人をちょっぴり謙虚な気持ちにさせてくれるものなのかもし
れません。
水
山間部のあちらこちらでみかける黒いパイプ。
同僚のK君が無数のシババチに刺された現場の横にもあったこのパイプは、生活に必要な水を各集
落まで運ぶためのものです。
諸塚村内も水道整備は進んでいますが、山間部では山に湧き出る水を取水している所が多く、ある
程度の水量があるとは言っても、生活用水として確保するためには相当な労力と維持管理を必要と
するんです。
先日「荒神(こうじん)祭り」が行われた南川公民館・中尾地区も、集落から約6㎞離れた場所に水源
があり、そこから集落まで水を引っ張ってきているそうです。
この日も、荒神祭りと併せて水神様に感謝する儀式を行いました。
中尾地区からハイウェイをぐるりと回りながら車を走らせること数十分。
車で行くと6㎞以上はあったのではないでしょうか・・・・。
水源地まで行って管理をするのも一苦労です。
中尾地区で使用する水のタンクにゴミが入らないように上からカバーをしておきました。
冬場ということもあり、流入量がかなり少なくなっているようでした。
また、この水源地までのルートも、地区の皆さんによる「みちきり」(道路沿いの草刈り作業)によっ
てきれいに管理されています(写真は2009秋)。
生活していく上で欠かせない水、そして道路。
この2つを確保していくために諸塚村民のたゆまぬ努力があり、今もなお続いています。
あうんの呼吸で
『諸塚村民憲章』
その名のとおり、諸塚村民として生活していく上での基本的な方針を定めたもので、月初めの役場の
朝礼時をはじめ、定例の公民館長会など各種会合の冒頭には必ず全員で唱和します。
当番が前文を読み上げた後に、4つの項目を一つずつ唱和していくわけですが、周囲と息を合わせて
読み上げるのはなかなか至難の業。
初めての頃は、周囲がぴったりとタイミングを合わせて唱和する中、私だけずれている感じがしたり、
トーンが高かったり低かったり・・・・・・など、微妙な違和感を感じていたんです。
しかし、この時期に来てようやく絶妙なタイミングで周囲に合わせて読み上げることができるようにな
った気がします。
ただ唱和するだけなのに、そこまで気にする必要は全くないと自分でも思いますが、やはりその場に
いる全員があうんの呼吸で一体感をもって読み上げた方が気持ちがいいですよね。
でも、大事なのは唱和のタイミングではなくて、1人1人がどれだけ近づけているかという中身。
4つの項目には月毎に「具現化項目」という細かな目標も定められていて、前回御紹介した「生
涯学習カレンダー」にも記載されています。
諸塚に来てから何度も何度も読み上げたこの村民憲章。
せっかくみんなで声を合わせて読み上げるのですから、少しでも目標に近づけるようにあうんの気持
ちで取り組んでいきたいものです・・・・・・・・が、自己チェックしたところ、どうしてもつまづいてしまう項
目があるんですね。
それは、
3番目の項目 『一 健康につとめ明るい家庭をつくりましょう』
個人的には現段階で一番具現化が難しい項目ではありますが、日頃の不摂生を改め、あうんの呼吸
で話し合える家庭が(早く)築けるよう頑張りマス!
坂の上の諸塚
諸塚村には、年度初めに村内全世帯に配布される「生涯学習カレンダー」(教育委員会発行)
というものがあります。
このカレンダーは、なんとなんと1年も前から村内各地区の行事予定が記載されているほか、ゴミ収
集日や学校の遠足日まで入っているというマルチカレンダーなのです。
本日3月1日。
今年度のカレンダーの最終ページをめくると、「お別れ」や「卒業」という文字が目に飛び込み、愛しさ
とせつなさが急にこみ上げてきました。
この3月にも、『日本一早い諸塚山山開き』(6日)、『世界森林認証祭り』(13
日)と諸塚村を代表する行事が目白押しなのですが、今、この最後の1ページの空欄にはものすご
い勢いで私自身の行事予定も埋まっています。
28日は、私がGP(ごっとりプリン体)ファイナルと位置づける『吉野宮神社大祭』。
旧・東京国際女子マラソンに例えると、今まさに39キロ地点の上り坂といったところでしょうか。
もうすぐ競技場(吉野宮神社)が見えてきそうな感じです。
3月は、アルコールを分解する肝臓が2つあるといいのに・・・・と真剣に願ってしまいたくなる時期で
もありますが、このヘビーローテーション以上に1日1日が充実したものとなるように、坂の上に広がっ
ている『諸塚』をめがけて笑いながらスパートしたいと思います。
自分にとって、ここ諸塚での生活がまさに「生涯学習」そのものであったことを刻むためにも。