2011年2月の記事
My Best of 舞 Life
4週連続ではなく5週連続となっちゃいました・・・・・・・・・諸塚村の神楽。
2月最後の週末、今年も南川公民館・中尾地区で行われた「荒神(こうじん)祭り」にお招きい
ただきました。
昨年もこの時期に御紹介しましたが、南川神楽の後は、南川公民館内の各地区(松原、小払、中
尾・・・)で小さなお祭りが行われ、その中で3番ほど神楽が奉納されるのです。
(↑ 南川神社)
諸塚村内ではほとんどの地区に神社があり、ここ中尾地区の「南川神社」には先日の夜神楽でも登
場した荒神さんも祀られているそうです。
↑ どの地区の祭りでも神楽の基本「地割(じわり)」が奉納されます。
そして、今回は特別に私が舞わせていただくというまさかの展開に・・・・・・・・・・。
すっかり油断をしておりました。
舞い方を忘れたわけではないけれど、わずか数週間空いただけで自信がない感じがしたんです。
しかし、体は覚えていましたし、今できる舞いを精一杯奉納させていただきました。
↑ 中尾地区の親子初共演が実現。
中尾の"サラブレッド"ことマー君も確実にステップを踏んでいます。
神楽一色だった諸塚村の2月も今日で終わり。
月初めに我が家で敢行した神楽の「強化合宿」がはるか昔の出来事のように感じます。
最近の時間のスピードには「Oh!舞 ゴーッド!」といったところですが、3月もベストを尽くします!
ぽっかぽか
一瞬だけ春の接近を感じた先日の現場帰り。
とある公民館前の広場では、地元の皆さんが仲良くゲートボールを楽しんでいました。
公民館から眺める山景色は素晴らしく、天気も良かったので、ゲートボールを見ている私達ものどか
な気分になりました。
私も以前、青年団行事で南川公民館の「寿会」の皆さんと一緒にゲートボールをさせていただいたこ
とがあるのですが、これまた想像以上に難しいんですよね。
特に、ボールが第一ゲートをくぐらないと先に進めませんので、モタモタしているうちにゲーム終了・・・
・・という情けない展開になってしまいます。
その時、90歳近くになるおばあちゃんが、「どんどん行こう!」と言って我々青年団を引っ張っていく
ハツラツとした姿がとても印象的で、ゲートボールは「高齢者のスポーツ」というイメージが強いけれど
も、世代・年齢に関係なく一緒に楽しめる種目だな・・・・・と感じたのを覚えています。
そういえば先日、おもしろい話を聞かせてもらいました。
諸塚村には、高齢者の方を定期的に病院等まで送迎する「ふれあいバス(タクシー)」という事業
があるのですが、バスに乗る皆さんの中には病院に行く事よりも他の地域に住む友達に会えるこ
とが何よりも楽しみ!という方も多いそうなんです。
「☆☆さん、最近病院に来ないけど調子が悪いのかね?」・・・・・・という不思議な会話があるほど。
人と人とが触れ合う場があり、そこで身も心もぽっかぽかになる。
そういう場所・環境(交通の足)さえ整っていれば、住んでいる所が山間地だろうが離島だろうがあま
り関係ないのかもしれませんね。
どんなに若くても、便利な都市部に住んでいても「寂しい」とか「つまらない」と感じた瞬間、それは「い
きいき」とは言えないでしょうから・・・・・・・・
ゲートボール場を後にしながらそんな事をほんの少しだけ考えてみました。 はは~。
しいたけ物語最終シリーズ ~亀の甲より年の功~
昨日のこと。
久々に椎茸の生産現場に行くと、これまでとは違った光景が広がっていました。
これまで白い斑点(種駒)模様だった原木から、それはそれはきれいな女神様のような椎茸が顔を出
しているではありませんか。
寒さや雨から品質を守るために一つ一つの椎茸にビニールを被せていたのですが(保温・防護効
果)、ここ数日の間に急に春めいてきたこともあり、続々と発生が始まったようです。
さすがは諸塚村の原木しいたけです。
亀の甲羅のような割れ目の入った素晴らしい椎茸がたくさん収穫されていました。
写真(↑)の椎茸はよく「天白(てんぱく)」と呼ばれてますが、菌の種類や育て方によっていろんなタイ
プの椎茸ができるようです。
"ほた場"(椎茸の生産現場)には、予備軍も含めて上記写真のような椎茸が一気にはじけそうな予感
が漂っていました。
原木として育つまでに約20年。
駒打ちしてから約1年(駒によっては2年)。
ようやく誕生の時を迎えたわけですが、夜神楽の「岩戸開き」よりもはるかに長い時間を経てできあが
る椎茸ですので、椎茸づくりは一大スペクタクルですよね。
そして、何よりも生産者の方が長い間に培ってきたノウハウが、諸塚産なばのGOE(出来映え点)を
一気に 上げているのだと思います。
さて、そんな本格的シーズンの到来を歓迎するかのように、
本日25日、宮崎市のアンテナショップ「ふるさと物産館海幸・山幸」にて「しいたけ祭り」が
開催され ます (10:00~15:30)。
新鮮な生椎茸はもちろん、乾椎茸の量り売りや炭火焼きコーナー、さらには椎茸原木の販売まであり
ます。
ちなみに、諸塚村の営業マンがオススメする猪肉茶漬け「シシ茶」も登場するそうですよ☆
近くにお住まいの皆さんは是非どうぞ~!
オープン・ザ・ホーム
諸塚村で私が驚いた経験の一つに、「家回り」の慣習があります。
最初に経験したのは2009年4月。
私が諸塚村に赴任してまだ約3週間頃に行った梅の木観音祭り(南川地区)でのことでした。
祭りの会場でしばらく歓談した後、その地区内にある家を1軒1軒訪問(いわゆる「はしご」)して回
っていくわけですが、各家に行くと地区の方の襲来(!?)もとい来訪に備えて予め座が設けられて
いて、どの家に行ってもひたすら恐縮するばかりのおもてなしをいただいたのです。
この「家回り」は、観音祭り以外にも川の口公民館の秋祭りの後や南川神楽の後などで度々経験
し、またある時は、とある家族の一家団らんの席に誘っていただいたり泊めていただいたこともありま
した。
人一倍遠慮がちな私!?にとって、当初この「家回り」やお泊まりはアンビリーバブル!な世界。
いつもいつも「こんなにしてもらっては申し訳ない。」・・・・という気持ちでいっぱいでしたね。
それまでの私の価値観(壁)を打ち壊した諸塚村のオープン・ザ・ホームぶりに対し、「何も恩返し
ができないな~」・・・・・と、真剣に考えてしまう時期もありましたが、これらの御厚意に甘えさせてい
ただき、物質的なお返し云々ではなく"感謝の気持ち"で応えていこうと考えるようになりました。
ところで、一口に「家回り」と言いましても、必ずしも全ての家に辿り着けるわけではなく、相当な気力
と体力がなければ脱落することもございます。
先日の南川神楽の後、徹夜で体力を消耗していた私が佐礼地区の1軒目でさっそく力尽きてしま
い、目が覚めた時(夜7時)にはそのお宅の布団の中。
携帯電話に驚くばかりの着信履歴が残っていたという話は、まだまだ記憶に新しいところです。
この場をお借りして・・・・・・・・・、いつもありがとうございます!!
地域結集 ~諸塚村の神楽~
『地域結集』
・・・・・・・・・私が以前所属していた部署でよく耳にした言葉(事業名)です。
6年ぶりの奉納となった立岩神楽をはじめ、1月末から4週連続で行われてきた諸塚村内の神楽は、
まさしく地域にある様々な「力」を結集させなければ成し得ないものだったのではないでしょうか?
立岩神楽を鑑賞した時、舞手が少ない中で全員が固い絆で結ばれているような独特の団結力を感じ
ました。
そして、その団結力は戸下神楽や南川神楽、恵後の崎神楽でも直に感じたことです。
地元の婦人部の方々が作った身も心も温まる雑炊。
きめ細やかな神楽舞台内の装飾。
諸塚村内に伝わるいろんな神楽を見てきましたが、舞う人だけではなく地域の婦人部の協力やベテ
ランが有するノウハウ・・・・・・・・様々な「地域の力」が結集してはじめて成立する伝統行事であること
を感じた日々でした。
眠い中にもガッテンだ!
舞 graduation
闇夜に浮かび上がる立岩神楽の舞台。
伝統の重みがひしひしと伝わってくる中、堂々たる舞いを奉納していた一人のアラトゥエ20代の青年
がいました。
青年の名は、村内でボランティア活動を行っている「緑のふるさと協力隊」の夏目さん。
彼が神楽デビューの場として選んだのは、この6年ぶりとなる立岩大神楽だったのです。
立岩神楽の練習が始まったのは11月頃のこと。
6年ぶりの奉納ということもあり、村内のどの神楽もまだ練習を始めていない時期から準備を進めてき
たそうです。
やはり練習量は裏切りませんね。
以前から立岩神楽を舞っていたのでは!?と思うくらいにごくごく自然な舞いだったと思います。
神楽に出来映え点(GOE)があるとすれば、加点がもらえるのではないでしょうか?
他地域に比べて舞う人の数が少なくなっていることもあり、この日の夏目さんは大活躍!
いろんな場面で頻繁に登場していました。
↑ 南川神楽ではベテランの方が被る「烏帽子」をつけて登場し(しかも、『み笠神楽』で!)、
↑ なんとなんと太鼓の角打ちまで任されていました!
登場する度に私が写真を撮っていたので「父親!?」・・・と突っ込まれましたが、そこまで年齢差は
ありませんので・・・・・(約10歳差・90年代ネタ少しOK)。
この日、地域に溶け込んだ夏目さんが普段の何倍もいきいきとした顔つきで舞っている姿が印象に
残り、そして、立岩地区の皆さんにとって大事な存在となっていることが伝わってきました。
そんな夏目さんの諸塚村での隊員活動も残りわずか。
3月上旬には東京で行われる総括研修に参加するため、ひとまず諸塚村を「卒業」します。
ここ諸塚村で「何を感じ、何を得たのか」・・・・・・答えは、夏目さんただ一人のものだと思います。
今回の立岩神楽は、夏目さんにとってまさしく卒業論文に代えての"卒業神楽"だったのかもしれませ
んね。
でも、案外5年後ぐらいにまた4人で舞っていたりして!?
・・・・・・・スピード再結成!みたいな感じで。
きょうの出来事 ~立岩神楽~
似てるけど どこか違う だけど同じにおい。
そんなにおいを感じたのは、きょうの出来事。
今回は当ブログには珍しく、今日の朝撮れ最新ショットを含むホヤホヤの内容をお届けします。
昨日(19日)から今朝にかけて、4週連続となった諸塚村の神楽の大トリとして、6年ぶりの開催と
なる立岩(たていわ)神楽が奉納されました。
6年ぶりということもあって、会場となった諸塚神社の境内には村内各地から大勢の見物客が来られ
て満員御礼!
まるでオリンピック開催地の盛り上がりを見ているようでした。
この立岩神楽は、既に行われた戸下神楽・南川神楽とは系統が異なると云われていますが、同じ
「神楽」ですので、「地割」や「沖江」等の共通の舞い・動作もあって所々でどこか似ていると感じる場
面がありました。
↑ ここでも怒った「荒神」さんが登場し、その怒りっぷりは迫力満点。
そして、その頃・・・・・
神楽舞台の隣にある社の中では、謎の女性チーム(8人)が集結していました。
隣の神楽奉納に触発され、まさかまさかの仇討ち(団七踊り)再びか!?
・・・・・・と思いきや、厳かな神事中でございます。
実は、この女性陣こそ「どこか違う」と感じた立岩神楽の一番の特徴で、「み笠神楽」と呼ばれる
女性による神楽奉納なのです。
諸塚村内の神楽では、女性が舞う光景を見たことがなかったのでとても新鮮でしたね。
↑ この8人は、地元の住人K村氏曰く「立岩のAKB8」だとか・・・・・・・ここ東京じゃないですよ~。
さて、
女性による舞いが終わった深夜の時間帯からは、他の神楽と同様ひたすら睡魔との戦いでした。
↑ 寒い屋外にもかかわらず、ストーブ周辺で仮眠をとる方が続々!
↑ ふるさと協力隊のOBさん達も、後輩の舞い(後日紹介)の合間に夢の中。
この頃にはさすがに私も限界寸前。
一ヶ月の間に二度の徹夜は、別府大分マラソンと東京マラソンを連続で走るくらい体に応えますね
(注:マラソンを完走したことすらありません。)
されど、神楽のクライマックス「岩戸開き」の瞬間は見逃しませんでした。
天照大神の登場シーンは、本当に待ちに待った瞬間でしたから。
さて、6年ぶりの立岩神楽。
やはり1話完結は難しく、そろそろ睡眠不足のツケも回ってきましたので、つづきはまた明日~。
zzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・
参加型神楽 ~恵後の崎神楽~
似てるけど どこか違う だけど同じにおい。
そんなにおいがしたのは、1週間前の2月12日(土)。
2年ぶりの開催となった恵後の崎(えごのさき)神楽の奉納を観に行った時のことでした。
恵後の崎神楽も、特設の「御高屋(みこや)」が舞台。
全体的な雰囲気は戸下神楽・南川神楽に似ているのですが、決定的な違いもありました。
それは、
観客が神楽舞台の中に入る機会があること!
他の神楽では、神楽舞台の中に舞手や地区の方以外が入るのを見たことがありませんが、恵後の
崎神楽では全員が幣を手にし、神楽舞台の上で祈願させてもらったのです。
これぞまさしく観客参加型の神楽。
それぞれに風習がありますので一概には言えませんが、こういった神楽も何だか得した気分がして
楽しいですね。
↑ 子ども達もスタンバイ中。
そして、もう1つ。
子供の面舞!!
「こども神楽」は何度か拝見しましたが、面をつけた子供さんが舞う姿はとても珍しい光景なのです。
まだ小さいのに貫禄たっぷりの舞には観客の皆さんもメロメロ、そして、拍手喝采の嵐でした。
夕方に始まった恵後の崎神楽も日付が変わる前には終了。
同じ諸塚村内の神楽でも、地域によってまた一味違ったものになっていることを感じましたね。
ところで。
「1週間前の出来事を今頃~!?」・・・と思われた方。
・・・・申し訳ございません!
今週は村外に出る機会が多く、じっくりと書きたいと思うあまり今日になってしまったのです。。
この更新が遅い「衛星中継のようなブログ」に堪えられない方は、中山間盛り上げ隊のブログをご
覧になれば「今日の24H」並みにレアな諸塚を知ることができますよ!
(今は衛星でもこんなに時間差を感じませんが・・・・・・。)
気を取り直して・・・・・・今から最終週の「立岩神楽」に行ってまいりま~す。
越県行為
佐賀県に行ってきました。
この2日間、諸塚村有害鳥獣対策協議会と林業研究グループの研修事業として、県境を大きく越
え て佐賀県武 雄市と佐 賀市(旧・富士町)まで行ってきたのです。
その中から、今回は2日目に訪問したレストラン「菖蒲ご膳」 で見た「いきいき」な現場をご報告。
建設中の嘉瀬ダム近くにあるこのレストランは、地元の佐賀市婦人林業研究会が運営してお
り、地元の山の幸を使った自然食の会席料理が好評なんです。
お昼の弁当も豪華絢爛!
調味料を多用せず、塩やダシ昆布以外はほとんど地元産なのだそうです。
↑ 天ぷらの材料も全て地元で採れた山野草。
↑ デザートには地元産「キクイモ」を使ったプリン。
いずれも、「自然食」を"売り"にしており、健康志向がすこぶる高い私にとっては幸せなランチタイムで
したね。
↑ 研修では、会長の西さんから山野草料理愛好会からレストランを運営するに至るまでの興味深い
話を聞くことができました。
このレストランができる前、周囲の地区にはスキー場や温泉等の観光資源があるのに比べ、菖蒲地
区に は「雑草」しかないと嘆いていた時期もあったそうですが、いつしか「雑草」は地域の大きな
「資 源」に変わり、今では菖蒲地区の元気の源になっているようです。
↑ 厨房で働いている皆さんも全て婦人林業研究会の皆さん。
素晴らしい料理もさることながら、厨房の中のいきいきとした雰囲気が大変印象に残り、諸塚村と似
ているような親近感さえ覚えました。
山野草と言えば・・、
諸塚村にも貴重な『資源』が豊富にあることを思い出しました。
春のエコツアーin立岩で採取した山菜(↑)
そして、地元の婦人加工グループという強力な"資源"が諸塚村にもあります。
場所は違えど中山間地域が抱える課題や前向きな志は全国共通。
諸塚村内においても、このような前向きで、かつ、無理のない地域の取り組みをこれからも応援し続
けていきたいですね。
(↑ 阿蘇~バスの車窓から)
『しいたけ』の中の『しいたけ』
諸塚村を象徴する椎茸の形をした建物「しいたけの館」。
最近、この建物の2階に村内の特産品販売所「もろっこはうす」が引っ越してきました。
村の中心部の水防災事業に伴い仮移転したもので、元々は会議室などに使われていた部分を一部
改修したんです。
国道327号沿いから少し引っ込んでしまったという見方もありますけど、この「しいたけの館」は諸塚
村観光の『本丸』。
観光インフォメーションをはじめ、食事処「どんこ亭」など外から来られた方の多くが立ち寄る拠点施設
ですので、この場所に特産品販売所があると「相乗効果」も期待できるような気がします。
もろっこはうすの中には、村内の婦人加工グループで作られた加工品をはじめ、「もろつかの味」がズ
ラリ!
ここから歩いて3分以内の所に住んでいる私からすれば、まさに「渡りに舟」といったところですね。
そして、もろっこはうす内で大きな存在感をもっているのは、やっぱり「しいたけ」。
旬な生椎茸だけではなく、椎茸の旨味がぎゅーっとつまった乾椎茸が所狭しと並んでいて、まるでア
イドルグループの「センター」ポジション決めを見ているかのようです。
そんな熾烈なPR合戦を生き抜いている椎茸商品は、まさに「椎茸の中の椎茸」!
ブレイク寸前です。
バイリンガルへの道
最近、言葉遣いやイントネーションが『諸塚色』に染まっている自分に気付くことがあります。
少々疲れた時には、「もうあんどした~。」
何か吹っ切れた時やどうでもいいですよ的な時には、「まーええわね。」
・・・・・・・・といった感じですが、まだまだ意図的に使用する時もありますね。
以前に西諸県(にしもろかた)地域に住んでいた頃は、いつも"通訳"が必要なほど理解するのに時間
がかかりましたけど、諸塚村は出身地・都農町とわりと近いエリアであるためか、意味がわからない
と感じたことはあまりないんです。
その地域特有の言葉やイントネーションで話すと、同じ事を話していても何だか雰囲気が違ってきて、
不思議と相手との「距離」が縮まった感じがするんですよね。
そんな私の最近の口癖(お気に入り)は・・・・・・・・・・・・「ええどこじゃない。」
遠慮がちに打診してくる相手に対し、むしろこちらは大歓迎だよ!という場面でよく使います。
【使用例】
M子:焼酎をごっとり注いでもいいかな?
私:ええどこじゃない!(願ったりかなったり!)
ただし、10回に4回は使い方にダメ出しをいただいておりますので、バイリンガルへの道のりはまだ
まだ険しいですね。
標準語の使用が多い私(!?)が、わざとらしくない自然な会話ができるようになった時。
その時こそ、いつも自然に作り出している「壁」に一瞬だけヒビが入る瞬間なのかもしれません。
焼酎水の如し
諸塚村に来てからというもの、私の焼酎摂取量は激増しました。
元々飲めない方ではなかったのですが、それまでは飲んでも月に2~3回程度。
それが諸塚村では、月に焼酎を飲まない日をカウントした方が早いくらいなのだから驚きです。
さらに、焼酎を割らずに飲む機会も圧倒的に多いんです。
自分でちゃっかりしっかりとお湯を入れないとだれも割ってはくれません。
我が家にお招きした某先輩にある焼酎を出したところ、
「これ白じゃなくて黒だよね?私は白派!」とか、「コップを汚すのがもったいないから、生ビールのジ
ョッキにそのまま(割らずに)お願いします。」・・・・というオーダーがあったほど身近な存在(?)なの
です。
まさに、焼酎水の如くといった感じでしょうか!?
(注:当然ながら個人差があります。)
↑ 先日の南川神楽でも、多くの焼酎を上げていただきました。
見た瞬間、気が遠のくような本数にも見えますが、特に神楽の練習時期には毎回飲みますので、案
外1年後には底をついてしまうんですよね。
そんな状況の中、役場の某先輩曰く「飲んだっていいじゃない。だって神楽だもの。」・・・とのこと。
全国的にも1人あたりの焼酎消費量が多い宮崎県。
わたしたち諸塚村民もその高い統計データを下支えしているのかもしれません。
ほどほどに。 (あっ!自分のことか?)
コンチェルト ~南川神楽完結編~
南川神楽が終わって1週間。
あの練習の日々も含めてすっかり懐かしい思い出に変わりつつありますが、ようやく完結編に着手で
きそうです。
最終夜の今回は、神楽を行う上で「必要不可欠なもの」をピックアップ。
まずは~、
2人の太鼓持ち!・・・・・・・ではなく、太鼓をたたく「人」ですね。
舞える人がたくさんいても、太鼓の音がなければ舞うことができません。
そして、ただ単にたたくだけではなく、舞う人との微妙な呼吸を合わせる"技"が必要とされます。
意外にもこの「太鼓の達人」は南川神楽の中にも数人しかおらず、上記写真でたたいているN田さん
も若手の1人なんです。
飲み会の時の私に対する態度はジャイアンさながら?ですけど、太鼓をたたく時の真剣な表情とのギ
ャップがいいですよ(笑)
続きましては、
↑ 神楽面・・・・・・・・・・ではなく、その奥に立っている笛吹き童子。
太鼓と同じく重要な役割を担っていますが、笛を吹ける方はもっと少ないのではないでしょうか。
↑写真の方は、毎年神楽の季節に東京から帰ってこられるそうで、貴重な地域の人材ですね。
次は、来客のおもてなしをする脇宿(わきやど)。
もちろんこの脇宿の存在も欠かせませんが、この脇宿でふるまう料理等を準備していただく地元の婦
人部の方々の御協力があってこその脇宿なんですよね。
↑ 脇宿の料理だけではなく、深夜の雑炊や朝食の準備までも。
舞う人以上にハードな週末だったと思います(本当にお疲れ様でした!)
そして、最後は・・・・・・・・・・
寒い夜には欠かせない焚き火!・・・・ではなく、この地域の伝統行事を温かく見守ってくれる観客の
皆さんの存在。
神楽はただ舞える人がたくさんいれば伝統行事としてつなげていけるようなものではなく、多くの人の
支えがあるからこそできるということを実感しました。
さて、
南川神楽に関して言えば、昨年同時期のブログも含めて少々しつこく取り上げてきました。
それは、単に神楽という「行事」を伝えたかったわけではなく、神楽を通じて見える「地域の姿」をお伝
えしたかったんです。
若い舞い手。
神楽の時期に照準を合わせて地域に帰ってくる人。
世代を越えたつき合い。
絶対不可欠な婦人会の存在。
地域と関わる子供達。
人が集まる地域、求心力・・・・・・・・・・・・・など。
行事があるということは大変な事も多いのですが、こういった行事が地域の活力を維持している側面
があるのも事実だと思います。
このようにいろんな要素が重なり合って、南川神楽、ひいては南川公民館という1つの「コンチェルト
(協奏曲)」を作り上げているのではないでしょうか。
この素晴らしいコンチェルトに交ぜていただいた充実の2年間に感謝します。
完
神楽24時<後編> ~南川神楽~
日付も変わり、3荒神と神主が和解した後は、夜明けのクライマックスに向けてひたすら神楽奉納が
続きました。
ここからは寒さと睡魔、さらには酔魔との闘いです。
昨年の開催地『2時の松原』地区の"お家舞"。
御当地名人のお二人によるエアー縄跳び風?な舞いには
寒さも吹き飛ぶ。
20番・21番 新地割(しんじわり) ※左から(上)・(下)
前半に奉納された「地割」とは全く動きが異なるまさしくニュータイプの舞。
鑑賞していた地元の婦人部の方々曰く、舞っているのは「昔のイケメンたち」だとか・・・・・え、今は?
22番・23番 沖江(おきえ) ※左から(上)・(下)
海の守り、水の守りを願う舞いには再び若手が登場。
舞手がかぶっている金髪ヘアーは「毛笠(けがさ)」。 もはや人を見分ける手段は体型・しぐさ!?
観客もお待ちかねの「こども神楽」が登場!
同じ番の舞いを、地元の小学生と中学生がそれぞれ4
人ず つでリレー神楽。
午前3時頃の時間帯でも元気ハツラツ。


zzzzzzzzzzzzzzz・・はっ!zzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・。
この時間帯を乗り切ればという時間帯にはもってこい!?
の超スローな舞い。
ベテランの舞手だからこそだせる味のある舞い。
いよいよ春日大神が登場。
天岩戸がちょっこし開き始める頃、温かいご飯と味噌 汁が
胃と心にしみる。
神vs観客3番勝負!?
とびっきりおちゃめな面舞が、観客の持つ 「さか
き」を引き抜こうと急接近。
面をしていても舞手の個性的な性格が滲み出る。
32番 戸取(ととり)
神vs観客3番勝負第2戦。
岩戸に隠れた天照大神がなかなか出てこない(というストーリー)ので、今度は赤い神面がギャラリー
の持つ戸(岩戸)を取りに急接近。
観客もダミーの戸を用意して応戦するが(↑)、巧妙な手口の前に敗れ去ることに。
夜明けとともに登場したのは、通称『夜明けの○○さん』・・・
ではなく、再び春日大神。
いよいよ「岩戸開き」の瞬間!!
屏風(岩戸)から天照大神が引き出され、周囲からは拍手の嵐。
この天照大神役が舞台に立つ(決まる)までにも、神楽と同じくらいのドラマあり。
起きててよかった・・・・(泣)
御高屋で舞った後、かまどのある家に直行する4人組。
神楽が終了しても帰ってこないという伝説・うわさが毎年流
れる中、今年は無事に帰還。
優等生?
いよいよ最後の神送り。
紐を潜らせ、練ってはほどく。
この頃になると自らも布団まで送られたいという切実な気持
ち。
37番 稲荷
青年団の販売コーナー撤去開始により写真が撮れず・・・。
あともう少しで完全制覇だったのに。。
こういう詰めの甘い所は、ゴルフのスコアがあと一歩で100を切るというのに最終ホールで大叩
きをしてしまうところに如実に表れます。
それはさておき、
神楽での徹夜は近年まれにみる疲労感を生み出しましたが、今回のブログもさすがに疲れました(や
りすぎました)。
次回、(やっと)完結編。
神楽24時<前編> ~南川神楽~
戸下神楽で睡魔に負けた反省を生かし、今回はデジカメを24時間フル稼働!
その証拠写真をダイジェスト版で、かつ、ドキュメンタリータッチでお届けします。
「舞い入れ」の後、南川神楽奉納がいよいよ(ブログではやっと)スタート。
開催地・佐礼地区の皆さんが、洗米を蒔いてお清め。
この頃私は売店で愛想を蒔いて裏目。
神楽舞台・御高屋をたたえる2人の神官。
御高屋の外からはお孫さんの熱視線。
神楽の基本の舞。
南川出身の若手4人が登場。
今度は中堅組の出番。
見どころは、終盤の高速スピン。
ビールマンスピンよりも高レベル!?
このお二人。
お酒が体内に入ってからも"とうせい"(統制)が取れるかど
うかは不明。
神々の道案内役が登場。
面が登場すると、御高屋周辺は熾烈なカメラポジション争い
が勃発・・・・・・・せずに譲り合いの精神で。
↓ 8番・9番・10番 御大神(おだいじん) ※左から上・中・下
南川のベテラン陣が続々と登場。
下(しも)の舞で幣が倒れた後は、脇宿(わきやど)でお神酒を飲み始める。
その名のとおり天の神様。
聞けばよくわかる!?
お~い、村方さんよ。村方さ~ん~よ~♪
ベテラン級6人によるじっくりとした舞い。
弓矢の神様。
星よ、導きたまえ。
↓ 14番・15番・16番 弓の正護(しょうご) ※左から上・中・下
若手が目標とする舞いの1つで、弓を背負ってハイスピードで舞う神楽の花形。
周囲からのヤジ(声援)の大きさは期待の表れ。
嵐の前の静けさかな。
優雅で落ち着きのある舞い。
御高屋の外では紀州から嫁いだ和歌奥様が姑殿を応援。
祝・親子の初共演!
荒神登場の緊迫感の中に笑いあり。
息子に迫る鬼面の父の姿はどこか嬉しそうにも見えた。
前半のヤマ場は、怒った3つの荒神と神主とのか
け引き。
周囲の見物客も御高屋を壊しそうな勢いのハイテ
ンション。
やがて、荒神と神主は和解し、真夜中のシンデレラゴッド達は去っていく。
そして、見物人も去っていき・・・・・・怒涛の後半戦へとつづく
地域の知的財産 ~南川神楽~
今年もまた南川神楽の前日にタイムトラベル。
神楽舞台となった御高屋(みこや)の建設現場の密着レポートです。
午前9時前、御高屋の柱となる「こうじの木」が到着。
約1週間前に開催地の佐礼(され)地区の皆さんが伐採してきたもので、『神の木』とも云われ
ます。
基礎部分に着手。
今年は佐礼の集会所にドッキングさせる形で建てられました(昨年は松原の民家横に建設)。
御高屋建設に慣れた方々のテキパキとした作業により、あっという間に柱が立ちました。
私が南川公民館のセンターに畳や椅子を取りに行っている間に屋根部分の作業まで進み、昼前に
は御高屋の骨格がほぼ出来上がり。
その頃、御高屋に隣接する佐礼集会所の中では、神楽保存会のベテランの方々が御高屋の装飾グ
ッズや神楽奉納の際の各道具を作成していました。
↑ このような装飾があちこちに施されています。
(どこかで見覚えのあるような形と思いませんか?)
最後は、竹の屋根に覆われた御高屋に装飾が施されて"佐礼一昼城"の出来上がり!
厳密に言えば、翌朝(本番の日)の「しめ起こし」という儀式を終えて正式に御高屋の完成ですね。
昨年と同じく、わずか数時間で神楽舞台が出来上がってしまうのは、昔から受け継がれてきた御高
屋建設と装飾グッズ作りの"神楽ノウハウ"があるからこそだと思います。
神楽に限ったことではありませんが、地域に受け継がれているそういったノウハウの数々は、地域
特有の"知的財産"と言っていいのかもしれません。
ただし、南川神楽の御高屋の"ノウハウ"には、神の木を勝手に伐採したがために「神様の怒り」という
少々面倒なオプションがもれなくついてくるようで・・・・・・・・・・・、
やっぱり今年も三荒神が怒ってました~!!!
木を伐採した佐礼地区の皆さんは、この後どうやって許してもらい、どのような結末を迎えたのでしょ
うか?
・・・・・・・答えは夜を徹して奉納された神楽の中に。
つづく
面'sコレクション2011 ~南川神楽~
みなさん、こんばんは(こんにちは)。そして、お久しぶりでございます!
南川神楽に登場する春日大神です。
今年も2月5日(土)から6日(日)にかけて、村内佐礼地区で南川神楽が奉納
されました。
諸塚駐在員は、前日の準備も含めた3日間で完全燃焼してしまい若干放心状態
になっておりますので、今回は南川神楽の神々を代表して私がその模様をナビゲ
ートさせていただきます。
・・・・・・・・・・と、こんなに恐れ多いことを書いてしまうとバチが当たってしまいそうですので、しっかり
とお役目を果たさせていただきます。
自身にとって2度目の南川神楽。
この目にしっかりと焼きつけ、自らも完全燃焼し、そして南川地区の"元気の源"を再確認してきまし
た。
諸塚の神楽特集も残りあとわずかとなりますので、地域に根付いたこの伝統行事の模様をじっくりお
伝えしていければと思います。
さて、南川神楽の幕開けも先週行われた戸下神楽と同じく「舞い入れ」から。
佐礼神社の近くを出発点として、神楽舞台となる御高屋(みこや)までを舞いながら進みます。
佐礼ストリートには地区の内外から多くのギャラリーが駆けつけ、それはもう賑やかでしたね~。
(↑ 舞い入れの様子)
この「舞い入れ」では、この後の神楽舞台には登場しない『面』も含めて、南川地区内に伝わるほぼ
全ての面が勢揃いするんです。
普段はそれぞれの家で"家宝"として大事に保管されている面達も、この南川神楽の時だけはしばし
の再会を果たすことができます。
舞い入れ行列の中には、メガネをかけた面も登場!?
南川神楽でも2頭の暴れん坊「しし頭」が満を持しての登場(↑)
またまた「涙のリクエスト」かと思いきや、地域の子供は喜んで咬まれに向かっていくといった感じ
で、しし頭としてはもっとたくさんの涙が見たかったのではないでしょうか!?
私は、今年も「太鼓持ち」という役目をいただきました(幽霊ではございませんよ)。
この24時間後には夢の中に突入していますが、この時はまだまだ元気でしたね。
やがて神楽舞台・御高屋に到着。
ファッションショーの会場にいるかと思うくらい多くのお客さんとカメラに囲まれながら、 地元の南川婦
人部の「南川ガールズコレクション」に負けずとも劣らない個性的な面の数々、そして舞い手による神
楽奉納がこれから始まろうとしていました。
つづく
強化合宿
先日、今週末の南川神楽に向けた最後の練習が終わりました。
今年は全ての練習日に参加し、少しは自信もついてこれで準備万端だ!
・・・・・・・と思いきや、本番で舞う予定だった神楽の役割が、「牛頭天(ごずてん)」の『上(か
み)』から『下(しも)』へと変更になるという予想外の出来事が起きました。
ほとんどの舞いが『上』と『下』に分かれているわけですが、同じ神楽でも『上』と『下』では動きが若
干・・、時には全然違ってくるんです。
フィギュアスケートに例えれば、オリンピックの直前にフリーの曲目を思い切って変えるようなものでし
ょうか。
このままでは間に合わない・・・・・・・。
焦った私は、急遽我が家に特設舞台を設置し、本番で一緒に舞う先輩のY正さんとT邊君を「食事」と
いう名目で招き入れての強化合宿を敢行!
ビデオから流れる太鼓の音を聴きながら入念に動きをチェックしていきました。
(↑ 先地のY正さんによる熱血指導の様子。) ※実際は4人で舞います。
私にとって、牛頭天(下)の最大の難関は、中盤に出てくる『へもへも』と呼ばれる動作。
手の動きと足の動きが全く違うのでかなり混乱するのですが、神楽の基本は「足の動き」ですので、
これまで練習してきた「地割」の成果がここで問われます。
この強化合宿でみっちり指導していただいたおかげで、「へもへも」をはじめ動き方のコツのようなもの
をつかむことができました。
あとは本番を残すのみ。
4人の指揮者的存在である先地(せんじ)を信じて舞ってまいります。
本日、現地入り。
つなぎの要素 ~戸下神楽~
戸下神楽の完結編でござ候。
日も暮れていよいよ夜の部に突入・・・・・・・・と言いたいところですが、ここから私は痛恨のミスを犯
してしまいます。
私のデジタルカメラには深夜の時間帯の写真データがほとんど残っていなかったんです。
それもそのはず。
この日、神楽舞台の脇で地元の南川青年団によるおでんコーナーを設けていたのですが、寒さをしの
ぐために"禁断の熱燗"に手を出したことが裏目に出て、睡魔と酔魔によるタッグ攻撃に負けてしまっ
たようです・・・・・(それでも午前2時頃までは開眼)。
カメラに記録されていた写真データは、深夜に奉納される「神ずい(かんずい)」と呼ばれる子供神楽
(↑)など一部の舞いだけでした。
雪が舞い散る早朝。
親切な方が私を起こしてくれたおかげで、見どころの1つ「岩戸開き」で大神宮が登場する場面には
何とか間に合うことができました。
(↑ 岩戸開きの瞬間)
個人的には「つまみ食い」した感じになってしまった今年の戸下神楽。
クライマックスに盛り上がる舞いだけが神楽ではなく、そこに至るまでのそれぞれの舞いがあってこそ
のもの・・・・・・それを昨年の戸下神楽で感じていただけに少し残念な気がしましたね。
フィギュアスケートでは「技と技とのつなぎの要素」も大事とされていますが、神楽においてもスポット
的ではなく「舞いと舞いとのつなぎ」が大事で、長い目で見るとそれこそが神楽という「伝統」そのもの
をつなぐことになるのかもしれません。
ちなみに、戸下神楽と今週末に行われる南川神楽は、同じ系統の神楽と云われており、若干の所作
の違いと太鼓のテンポ感以外はほとんど同じです。
ですから、南川神楽は私にとってのワンモアチャンス。
決して体に無理してまで起きておく必要はないと思いますが、せっかくの機会なので1番1番を楽しん
でいきたいですね。
↑ 大量調理したアツアツのおでん。こちらのつまみ食いは最高でした~。
北風と太陽 ~戸下神楽~
戸下神楽の続編でござ候。
冒頭の「舞い入れ」が終わり、皆々様が御高屋(みこや)に到着。
夜を徹しての神楽奉納がいよいよ本格的にスタートしました。
いつしか日の入りの時間帯に突入した戸下地区からは、切なくなるほどに素晴らしい夕日が見えて
います。
・・・・・が、この日は、「これでもか!」・・と試されているような感じがするほどの寒波が到来。
美しい落日も、長く寒い夜の到来を意味し、これが「北風と太陽」のお話だったら北風が『王手!』とい
うくらいに容赦なく冷たい風を吹きつけていました。
私もさすがにこの寒さでは夜を乗り越えられないと思い、青年団仲間のま~くんに信念を曲げて「貼
るカイロ」の"ハの字貼り"をお願いする始末。。
一方、私が覚悟を決めようとしたその頃、神楽舞台の御高屋では熱き舞いが始まっていました。
南川神楽でも基本とされる「地割(じわり)」(↑)
この舞いでは、中山間盛り上げ隊の木野さんが厳かな神楽デビューを果たされたのでした。
これまで神楽にほとんど触れたことがなかった木野さんでしたが、
「わずか3週間ぐらいの期間でよくぞここまで・・・・・」と思えるくらいに堂々とした舞いで、所属事務所
の先輩(何の?)としましても、一瞬だけ寒さを忘れとてもホットな気分になりました。
この後、夜になっても熱~い神楽が続々と奉納されていく中、 この太陽に代わるくらいの熱 ~ い神
楽を前にしては北風なんてへ っちゃら!という感じでしたね・・
・・・・・・・・・と言えれば理想的なブログの締めなのですけど、昨年を上回る厳寒の夜は三十路の体
に は過 酷な環境。
ずっと「寒い夜だから~♪」と口ずさみながら翌日の太陽を待つことになったのでした。
しかし、そのような中でも昔から戸下神楽を知るある方はおっしゃいます。
「この厳寒の中での神楽奉納こそ戸下神楽だ!」・・・と。
どんなに寒くても、毎年楽しみにしているファンにとっては、やっぱり神楽が「太陽」のような存在なの
かもしれませんね。
つづく
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