2010年11月の記事
母様のレストラン
11月23日午後6時。
いよいよ七ツ山公民館の「かあちゃん祭り」が開宴!
昼過ぎから七ツ山公民館の男性陣が準備した手づくり料理&食器も完成し、七ツ山の"かあちゃ
ん"達が続々と着座していきました。
↑ 各テーブルには、料亭の板前さんも太鼓判を押してくれそうな豪華料理がズラリ!
ほぼ全ての料理が手づくりで、かつ、地元で作られた食材や調味料が使われています。
開宴後は、エプロン姿の男性人がお酌をしながら婦人の方々をおもてなしするという世にも珍しい光
景が目に飛び込んできました。
ちなみに、このかあちゃん祭りでは、男性陣による手づくり料理だけではなく、それぞれ用意した感謝
のプレゼントも手渡されるんですよ。
やがて、デザート班長・七ツ山小学校W教諭の力作「レアチーズケーキ」(↑)が満を持して登場。
豆腐・きな粉・黒豆・・・とヘルシー三昧のこのケーキは、かあちゃん達から「うまい!もう1個!!」と
いうおかわりコールが続出するという大ヒットスゥイーツとなったのでした。
おもてなしは料理だけではありません。
熱唱するかあちゃんのバックダンサー!?としても大活躍でした~(↑)
年に一度のかあちゃん祭り。
365日のうちの1日ではありますが、七ツ山のお母さん方にとっては1年間の苦労が吹っ飛ぶような
殿方のおもてなしぶりだったのではないでしょうか。(えっ!まだまだ足りない!?)
年間を通して様々な行事が行われる諸塚村において、みんなが楽しく飲めて過ごせるのは婦人の
方々の影の支えがあってこそだと心から思います。
感謝を形にして表すことができる相手がいるということは、とても素晴らしいことだと思いますし、こう
いった行事は大変意義深いですよね。
私も感謝の気持ちでいっぱいです。
感謝のエプロン
本日、女子厨房に入るべからず。
この日の村内七ツ山(ななつやま)公民館の炊事場は、見渡す限り男だらけ。
エプロン姿の殿方達が包丁や菜箸を片手に大奮闘中でした。
毎年11月23日は、今や七ツ山公民館の名物行事となった「かあちゃん祭り」の日。
家事・送り迎え・地区行事の裏方等々、あらゆる所で日頃から頑張っていただいている地域の婦人
達の労をねぎらうため、当地区の男性陣が手料理や余興でおもてなしをする特別な日だったんです。
殿方は、事前に「牡丹鍋班」・「春巻き班」・「デザート班」等の各担当を決め、夕方6時の開宴に向け
て昼過ぎから準備に取り掛かっていました。
普段は料理をすることが滅多にない男性陣の料理とは言ってもか~な~り本格的。
春巻きに関して言えば、なんとなんと具から手作りだったんです!
春巻き班長のまさみち君(黄色のエプロン)は、油の揚げ方や温度管理にもこだわる徹底ぶり。
いいダンナになると思います。
私も春巻き班長から熱血指導を受け、具を巻く作業のお手伝いをしたのですが、初期の作品は油に
入れると危うく破裂寸前。
フライパンから追放された挙げ句、かあちゃん達の食卓ではなく殿方のまかない料理用に回されてし
まいました・・・・・(泣) ※その他は概ね成功です。
一方の牡丹鍋班も、「なば」に 十字の切り込みを入れ煮えやすく工夫するというきめの細かさ。
この中にも自炊歴○○年の意地とプライドをかけた、私の渾身の十文字が隠れているのですが、
けっこうな数が まかない用に回ったような気もします・・・・・・・・。
さらに、今回のかあちゃん祭りは、料理のみならず食器までオール手作りだったんです。
公民館の外では、地区のベテラン陣が竹を使って取り皿や箸、さらには「かっぽ酒」まで準備されて
いました。
さぁ、この七ツ山男性陣の「感謝のエプロン」が作り上げたかあちゃん祭り。
一体どんなお祭りになったのでしょうか。
次回、お楽しみに!
おかえり
『皆さんお帰りなさい』
村民文化祭の会場入り口に設置された看板に書かれていた言葉です。
諸塚村には、ふるさと諸塚を離れて各地で暮らしている方々による「諸塚村人会」という組織が
あり、宮崎地区や延岡地区等を中心に多くの諸塚出身者がいらっしゃいます。
毎年、この村人会をはじめたくさんの方々が村民文化祭に帰ってこられるんです。
今年も村人会約350人の方達が「ふるさと送迎バス」に乗って来場されました。
↑ 会場に到着すると、村長さんをはじめみんなで歓迎セレモニーです。
帰る故郷があり、このように歓迎してくれる場所、そして人がいる。
私がもし諸塚出身者であったならば目からウロコの心境だと思いますね。
「ただいま~」と「おかえり~」を一人二役で日々こなしている私としては・・・。
・・・さて、会場を見回していたらもう一人の「おかえり」を発見!
「餅つきコーナー」でぺったんぺったんしている青年は、昨年「緑のふるさと協力隊」として諸塚でボラ
ンティア活動をしていた汐崎耕輔君でした。
7月の結婚式以来の帰郷ですので、まさしく「新婚さん、お帰りなさぁ~い」って感じですね。
こうやって村のイベントに参加している姿を見ると何だかちょっと嬉しい気持ちになりました。
汐崎君が帰ってきてから何回か会ってはいたのですが、放流したサケが大きくなって帰ってきた時
のような気持ちでした(意味不明)。
諸塚村の人口に匹敵する約1800人の人で埋め尽くされた会場は、終始穏やかな雰囲気に包まれ
ながら、いつしか今年の村民文化祭もエンドロール。
つかの間の再会を楽しみ、村人会の皆さんもそれぞれの場所へ帰っていかれます。
最後にバスを見送る光景は、時に微笑ましく、時に切なくもありました。
この会場に諸塚という村のあらゆるエッセンスが凝縮されている ・・・・・・・・・・ そう感じた2度の文化
祭でし たね。
打上げ会場から帰る時、村民グラウンドから見える家代(えしろ)の山の上には月が輝いていました。
「早くおか えり なさい!」 と言わ れそうなくらいにほろ酔い状態の私は、この月明かりをたよりに歩いて
帰り、長~い1日が終わったのでした。
おわり
ブログに載せた餅
"スーパーもろつか"の開店セール!?

・・・・・・・ではございません。 (またしてもバレバレのフェイク・・)
シリーズ・村民文化祭の第3弾は、再び村民体育館が舞台。
体育館には、手芸・工芸・絵画等だけではなく、村内で生産された農作物がズラリと並べられていま
した。
諸塚村では四大基幹産業である林業・椎茸・茶・畜産の各部門の振興を図るべく、毎年村内16
公民館が互いに生産力を競うための「産業共進会」を開いているんです。
例えば、7月の「育林コンクール」(林業部門)であったり、茶品評会(茶部門)であったりと、年間を
通じて様々な部門で審査を行っていきます。
そして、今回の村民文化祭では各公民館で生産された各種農作物が出展され、審査を経ていよいよ
今年度総合優勝の公民館が決まるというわけです。
共進会の結果は・・・・さておき、村内各公民館から出展された様々な農作物が並んだ光景は壮観。
本当にスーパーが開店できるのでは?と思うくらいに新鮮で美しい野菜等が展示されていました。



↑ 大根・・・・お鍋のお供に ↑ 白菜・・・お鍋のお供に ↑ゆず(いのす)・・お鍋のお供に
↑ くり・・お鍋の後に ↑ しょうが・・お鍋の隠し味に ↑ ??・・とりあえずお鍋に
↑ ネギ・・・カモの背中に。。

極めつけは、諸塚村が誇る『なば』!
これらの素晴らしい上等品の数々を見て鍋料理が食べたくて たまらなくなり・・・・・・・翌日にはついつ
い一 人鍋。

今回出展された農作物は、審査を受けた後に値段がつけられ、村民文化祭の当日には来場者の方
が次々と購入されていったようです。
搬入日に写真は撮りまくりましたけど、結局自分の口には入らなかったので"絵に描いた餅"なら
ぬ"ブログに載せた餅"状態ですね。 (買いたかったなぁ・・・・・・・。)
村民文化祭に出展された農作物の数々は、地域の活力を映し出したものだと思います。
どおりでそれぞれの作物がいきいきしているように見えたわけですね。
行列のできるテント
村民文化祭の会場・諸塚村民グラウンドの一角に設けられたとあるコーナーのテント。
↑ お昼前には長蛇の列ができていました。

この行列ができたテントは、「ジビエ料理」のふるまいコーナー。
今年の私の持ち場はココでした。
「ジビエ料理」とは、鹿肉や猪肉等の野生鳥獣の肉を使った料理のことで、フランス料理等の西
洋料理では高級食材として用いられているものです。
諸塚村では、この「ジビエ料理」の普及を通じて鹿肉や猪肉の利用を促進し、近年増加しつつある鳥
獣害対策の切り口の1つとして取り組むため、今年も昨年に引き続きふるまいを実施したんです。
今回のふるまいのコンセプトは、「身近な家庭料理として作れるもの」。
宮崎調理製菓専門学校の皆さんと諸塚村猟友会の御協力をいただいて、3品の試食を御用意さ
せていただきました~!

牛スジの煮込みか!?と思う程のとろけるような柔らかさ
の鹿肉とデミグラスソースとの相性が抜群!
担当としてスプーン1杯分だけ試食させていただき、「生き
てて良かった」と思えました。
②猪キムチチーズ鍋
豚トロの煮込みか!?と思う程のとろけるような柔らかさ
の猪肉とキムチの辛味との相性が抜群。チーズを入れるこ
とで味がまろやかになります。
担当としてスプーン一杯分だけ試食させていただき、「生ま
れてきて良かった」と思えました。
③鹿肉の竜田揚げ
地元の猟師さんによるおススメの一品!
にんにく等による味付けで獣肉特有の臭みは全くなし。
やはり本当においしい食べ方は猟師さんが知ってますね。
から揚げで居酒屋のポテンシャルを図ると豪語する岐阜の
友人にも食べてもらいたいものだ・・・と思いました。
文化祭当日はそれぞれ250食分を用意し、「余ったらスタッフ打上げ用にでも回せばいっか~」と思
っていたのですが・・・・・・・・・、
↑ 鹿シチューは約30分で鍋が空っぽ。
用意した全てのメニューがなくなるまでに1時間もかかりませんでした。

鹿肉や猪肉などの野生鳥獣の肉は、一般的には「臭い、硬い」といったイメージを持たれがちです
が、調理方法次第で全く問題なくクリアされるということをあらためて感じましたね。
ちなみに、地元の猟師さん曰く、本当に肉そのもののおいしさがわかるのは何と言っても「塩焼き」
らしいですよ。
それにしましても、今回のふるまいに使用した鹿・猪肉は計40キログラム。
11月15日の狩猟解禁後、わずか数日でこれほどの肉を提供していただいた諸塚村猟友会の供
給力には驚くとともに、当日まで御協力いただいた皆さんに本当に感謝です。
諸塚繚乱
昨年、村制施行120周年の"大還暦"を迎えた諸塚村。
121年目の今年も、新たな諸塚の歴史・文化を重ねていくべく前へ前へと進み続けております。
そして、諸塚村の方々が刻んできた「文化」の集大成として、今年も年に一度の「村民文化祭」
が11月21日(日)に開催されました。
村民文化祭は、村民グラウンドで行われる「ステージアトラクション」と、村民体育館での「展示会」と
の2会場に大きく分かれます。
ステージ上では、七ツ山小学校の生徒さんによる神楽をアレンジした踊り(↑:写真)をはじめ、村民
バンドの演奏や、豪華ゲストによる歌謡ショーが披露されました。
一方、展示会場となった村民体育館でも「諸塚」が咲き乱れておりました。
(ほんの一部だけ御紹介いたします。)
← 百花繚乱。
まさしく諸塚の心ですね。
(「おもと会」の皆さんの作品です。)
← カラフルな籠。
お茶摘みの時期に重宝しそうな籠で
すね(ナンダヨー、ナンダヨーと『茶揉
み唄』が聞こえそうです。)
← 来年の干支・うさぎ。
その年の干支の置き物を西に向けて置いておくのが開運ポイントらし
いですよ~(受け売りですが・・・)。
今回、広い会場の一角でひと際目立っていた作品がコチラ(↓)
諸塚村を代表する文化の一つである神楽を村内の小学生が描いた超大作です。
遠くから見ると普通の写真のようにも見えるのですが、近づいてよ~く見てみると・・・・・・・
↑ 写真ではなく、出力した紙に漢字で書かれた色を1つずつ塗りつぶしたものだったんです。
お見事ですよね。
そして、またもや登場!

今や諸塚村の"文化"となりつつある「玉入れ」。
文化祭のオープニングでは、村内の各公民館による親善玉入れ大会が開催されたんです。
おそらく、今回の玉入れが今シーズンの見納めでしたね。
このようにグラウンドでも体育館でも諸塚村の文化が咲き乱れた週末となったわけですが、
今宵はここまでに致しとうございまする。
つづく
林相観測~2010霜月~
これまで冬と春の2回にわたり御紹介してきました諸塚村の代名詞・モザイク林相。
「秋の風景撮るのを忘れとった・・・・」と気付いた私は、現場の帰りに再び猿越(さるごえ)公園
まで行ってきました・・・・・・・が、紅葉のピークは若干逃してしまったかもしれません。。
おそらく、ブログの文章と写真を見ただけではこの「モザイク林相」のイメージがなかなかわかないの
ではないかと思います。
そこで!
モザイク林相の懐に潜入するという、その名も「見上げてごらん秋の山を」作戦を敢行することにしま
した~。
↑冒頭の写真では既に落葉しているようにも見えましたが、潜入してみるとまだまだ紅葉のピーク。
もうしばらくは私の必殺技"一人で旅する山村もみじプラン"が発動できそうです。
↑こちらは、立岩公民館・桂地区からの眺め
(「見上げて」と言うよりは、若干上から目線でしょうか・・。)
このポイントでも「モザイク林相」の特徴である針葉樹、広葉樹、自然林とのコントラストが確認できま
したよ。
こうやって見ると、諸塚村の山が人工林と自然林とのバランスを上手に取りながらきちんと管理され
ていることをあらためて実感できますね。
広葉樹の中には、諸塚村の産業を支える椎茸の原木・クヌギ(↑)もあります。
このクヌギの葉がヒラヒラと散っていく瞬間は、ちょっこし寂しいけれど好きな光景の1つでもあるんで
すよね。
クヌギの木が落葉してしまうと山は一気に冬景色に変わります。
されど、昨年の相次ぐ鍋大会の実施により我が家のコタツ布団は勇退(廃棄)。
ここまでコタツなしで頑張ってきましたけどもう限界デス!
疑心暗記
(消防の任務)
消防とは、その施設及び人員を活用して、国民の生命、身体及び財産を火災から保護する
とともに、水火災又は地震等の災害を防除し、及びこれらの災害による被害を軽減することを
もって、その任務とする。
↑ この定義、全文を必死で覚えました~!(長ゼリフを演じきった俳優の心境です。)
諸塚駄賃つけ唄全国大会から始まった長~い日曜日もいつしか日の入り。
午後のポンプ点検に引き続き、夕方からは「臨時点検」が始まりました。
この「臨時点検」は、本格的な火災予防シーズンを迎えるにあたって、消防団各部の状況(統制等)
を点検するとともに、団員の意識を高めることを目的として毎年この時期に行われているものです。
それは同時に、自称"ドジでのろまな亀"の私が苦手とする「規律訓練」の始まりを意味するわけ
ですが、今回私がこの臨時点検で最もドキドキしたのは、規律訓練の動作そのものよりも、消防団
長が各部を見回る際に突如聞いてくる可能性があるという質問事項。
冒頭に書いた「消防の任務」をはじめ、「消防団員の階級」や「火災信号の種類」など、消防に対する
認識・知識を一人一人に問われるのです。
経験者の話によれば、服装が乱れていたり、緩慢な動きをしていたり、自信なさげな動作の人などは
団長から質問を受けるリスク(?)が特に高いそうで、挙動不審の疑いをかけられそうな私は冒頭の
「消防の任務」を必死に暗記して臨んだというわけです。
結局、本部の規律訓練では誰も質問を受けませんでした(ほっ。)
丸暗記ではありましたけど、今回必死に覚えようとしたことは消防に対する認識を高めるという意味
で勉強になりましたね。
頭で覚える「暗記」から、いつかは本当にそうだ!と思える「了解」の域に達することができるといい
なと思います。
次に越えるべき山は・・・・・・・・↑
"心臓"の定期検査
「諸塚駄賃つけ唄大会」の会場を後にし、午後からは大事な"心臓"の定期検査へ・・・
・・・・・・・って、写真(↑)は思いっきり消防の放水シーンではあ~りませんか。
またもや仰々しくて申し訳ございません。。
私自身の健康診断でもなく、山火事が起きたわけでもないのです。
この日は、諸塚村の消防において、『心臓』とも言うべき重要な役割を担っている小型ポンプ
(↑)の村内一斉点検日だったのです。年に一度の。
(↑:小型ポンプ)
諸塚村消防団本部と村内7つの部が保有している全68機の小型ポンプと、本部所有のポン
プ車1台が正しく作動するか(水を送れるか)を全て点検していきました。
↑ 私が所属する本部も所有する小型ポンプを1つずつ点検。
くどいようですが、山間地域・諸塚村で火災が発生した場合に機能を発揮するのが小型ポンプ。
道幅が狭い場所でも軽トラ車両と小型ポンプの機動性を活かし、付近の水源から容易に取水して消
火を行うというまさしく"心臓"のような大事な存在・・・・・とのことです(未経験)。
ですから、いざという時にしっかり機能するように、人間と同じく定期的に検査を受けておく必要があ
るんですよね。
そんな私も、最近心臓が頻繁にドキドキ。
それは、病気でも恋でもなく・・・・・・階段を急いでかけ上がった時の単なる息切れがほとんど(運動
不足!)なのですが、この日はポンプ点検後に特別なドキドキ要因が待ち受けていたのです。
なぜドキドキしたのかはまた次回のお話で。
山のバラッド
先日の日曜日、
今年で8回目となる「諸塚駄賃つけ唄全国大会」が開催されました。
「駄賃つけ唄」は、諸塚村に伝承されている民謡の1つで、
物資が延岡~中小屋(北郷)~家代(諸塚)の経由で運搬されていた頃に歌われていたものです。
今年も地方大会は一切無しで、いきなりの全国大会!
駄賃付道があったとされる地域だけではなく、県内各地や熊本県など、100名以上の方が出場され
ていました。
毎年6月に行われる「玉入れ選手権 九州大会」といい、諸塚村で開催される大会はスケールが
大きいものばかりですよね。
↑ 駄賃つけ唄の歌詞
久々に聴いた出だしのフレーズ「おど~まぁ~♪」は、何回も聴いているとしばらく頭から離れ
ず、昨年のこの大会がしみじみと思い出されました。
さて、大衆の生活の中から生まれた唄とされる民謡。
山師の方が手挽きで作業している時に歌われた「木挽歌」や、
人力で茶揉み作業をしていた頃に歌われた「茶揉み歌」 (ナンダヨー、ナンダヨー)をはじめ、
「木卸し歌」・「かずね堀り歌」・「地突き歌」、「田植え歌」、「祝い歌」、そして「椎茸音頭」(昭和32
年)・・・など山間地域の生活の中で生まれた様々な民謡があるようですが、時代や生活環境の変化
によって歌の背景となった作業そのものがなくなり、今ではほとんど耳にすることがない民謡が多くな
っているようです。
毎年ここ諸塚村で「日本一」を輩出している駄賃つけ唄の全国大会。
このような大会を1つのきっかけとして、今まで伝えられてきた"山のバラッド"の数々をこれから
もずっと受け継いでいってほしいと思いますね。
追伸:"海のバラッド"も大好きです。
あさってにも続く道
ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん・・・・・・・(リピート)
地面を打ち付けるその音は、生コン舗装が奏でる渾身のパーカッション(打楽器)アンサンブル。
今度は、飯干(いいぼし)公民館・只石(ただいし)地区の道路舗装作業に行ってきました。
10月6日に行った八重の平(はえのひら)公民館での生コン舗装作業以降、口コミで情報が広がっ
たのか、この作業に声をかけていただく機会が一気に増えたんですよね。
↑ ミキサー車から流し込まれた生コンクリートをみんなでどんどん延ばしながら、
→ 今回も写真のような道具を使って、ジャンピングホッパーのように
軽やかに、そして四股を踏むかのようにどっしりとプレスしながら均し
ていきました。
ちょっとだけ胃下垂にならないか心配になりましたけど。。
今回の舗装距離は約150メートル。
「たったの150メートル!?」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、集落の皆さんの手づくり
道路ですので、完了するまでに半日ちょっとは時間を要するんです。
いざやってみると結構長く感じるんですよね。
予算次第というのが一番大きいのですけど。
やがて、集落の血管ともいえる新たな舗装道路が完成です。
乾くまでの間、どうかイノシシさんやシカさんが通行しませんように(願)
生コン舗装作業のお手伝いはこれで2箇所目。
自分が携わった道路が残っていくのは何だか嬉しいですね。
この調子だと、「あした」どころか「あさって」にまで続きそうな『道』になりそうです。
↑ 終点部分で飯干公民館の皆さんと
この後は前日に準備のお手伝いをした桂地区の「霜月祭り」の会場へ約1時間かけて移動。
同じ村内を移動する際にはヘリコプターがあるといいのに・・・といった心境でしたけど、その移動を少
しでも楽にするという意味でもこの日の作業があるんですよね。
全身の筋肉痛もあさってまで続くのかな・・・・・。
諸塚の『彩り』
「霜月祭り」の舞台・桂神社の境内では、今年も木々の紅葉が見頃を迎えていました。
本殿の前で凛としてたたずむイチョウの黄色。
桂神社の外側から眺めた時に見える燃えるような赤。
境内にそびえ立つ巨樹「えのき」も、
下から見上げると、自然のステンドグラスを見ているかのようでした。
常緑の樹木も入れると紅葉の"信号"が出来上がり。
祭りの準備をお手伝いしながらも、ついつい境内の紅葉に見入ってしまい、イエローカードが出される
寸前でした。
赤色・黄色・緑色。
いずれかの色が抜けても何となく寂しい感じがしませんか?
1色だけでも素晴らしいけど、この"紅葉の信号"のように様々な色があるからこそ彩りの魅力も倍増
すると思うんですよね。
自然界と同じように諸塚村も個性の集まり。
村内に16ある公民館や住んでいる人達にもそれぞれ「色」があり、そして、1人1人の些細な活動が
回り回って諸塚村全体に素晴らしい『彩り』を加えているのだと思います。
桂神社で見た3色の紅葉のうち、どれかが抜けても物足りない気がするように、必ずしも同じ「色」で
ある必要はないんですよね
・・・・・・・・・と秋にふさわしく深~く考えた結果、やはり日頃からモノクロ気味の私は「いぶし銀」を目
指していこうと思う今日この頃だったのでした。
彩り(個性)を大切に。
村の巨匠
またしてもお久しぶりでござ候。
立岩(たていわ)公民館・桂地区にある桂神社でございます。
一の宮神社のある都農町出身の性なのか、それとも何かにすがりたい気持ちの表れなのか・・・?
どうしても鳥居を見るとシャッターを押してしまいますね。しかも、全く同じアングルで。。
とにもかくにも神社の鳥居をくぐると新鮮な気持ちになるんです。
さてさて、今年もこの桂神社の『霜月祭り』の季節がやってきました。
旧暦、そして新暦になってからも本来は毎年11月15日が祭礼の日にあたるそうなのですが、今
回も村内の他行事との調整のため週末の13日に行われることになり、その準備作業のお手伝いに
行ってまいりました。
緑のふるさと協力隊の夏目さん、中山間盛り上げ隊の木野さん、そして私の3名で参加させていただ
き、境内の清掃作業からスタートです。
若い隊員の方に「ほうきの極意」(=気合い)を示そうと思い、私も"一休さん"のイメージで軽快に掃
いていたつもりですが、調子に乗りすぎて腕がつりそうになりました。
やがて、疲れた私は、霜月祭り当日に奉納される神楽舞台の準備をしている社の中が気になり始め
ます(↓)
しめ縄張りやお飾りを手際よくつけている桂地区の皆さんの姿を見て、これまでの経験と「受け継が
れてきたもの」を何となくではありますが感じました。
おそらく、私達だけでやってみてごらんと言われてもすぐにできるような事ではないと思います。
まさに、「匠の技」ですね。
そして、
「ボランティア活動」の一環でありながらも、地域の方との交流を通じて私達自身が学ばせてもらい、
知識だけでなく「つながり」など多くのものが得られること。
・・・・・・・それがこの2年で私が強く感じたことですね。(過去形にするにはまだ早いですけど。)
今日も村の巨匠達に感謝です。
さぁ、いよいよ霜月祭り。
せっかく準備を手伝わせていただいたので、当日のお祭りにも3人で駆けつけたいと思います!!
座・林業
先ほど飯干(いいぼし)公民館で開かれた「座談会」から帰ってきました。
座談会・・・・・・
村内の公民館を回る「村政座談会」は8月で終わったはずでは!?と思われますよね。
本日の座談会は、「林業座談会」。
村内の林業家の方を対象として各種森林施策に関する説明・意見交換会を行うんです。
(↑ 川の口公民館での林業座談会の様子)
村政座談会は各公民館をそれぞれ回っていきましたが、林業座談会は村内を4~5ブロックに分け
て、10月中旬から今日まで4公民館ずつぐらいで実施してきました。
林業や鳥獣害対策に特化した内容となりますので、村政座談会とはまた一味違った踏み込んだ議
論ができるのが特徴といったところでしょうか。
村内の産業振興を使命とする我らが産業課。
林業座談会は本日で終了しましたが、冬には「農業座談会」も控えているようです。
夏からずっ~と膝詰めトークをしているような感じですが、座ってばかりもいられません。
座談会の場で出された意見を元に、一つ一つ具体的に取り組んでいく必要があります。
座るだけ座ったらスタンドアップあるのみです!!
いくつもの座談会があっても、村民の方と直接話ができる機会という点は同じ。
林業座談会で初めてお話した方もいて、とても貴重な場でした。
それにしましても、夏の「村政座談会」と今回の「林業座談会」に参加された方々の顔ぶれがほぼ同
じだったことを考えると、あらためて諸塚村が農林業を軸とした山村で、各生産者の方が集落の中心
メンバーとして諸塚を引っ張っていることを実感しますね。
ビバ!情熱山村!!
365分の2
スピリチュアルな活動は続きました。
南川公民館・佐礼(され)地区の水源地清掃活動が終わり、次に我々が向かったのはお久しぶり
でござ候の佐礼神社(↑)
参拝したのは2月の佐礼神社の春祭り以来で、年に2回しかない開廟日のうちの1日でした。
秋の開廟は必ず旧暦の9月29日にあたる日に行われるそうです。

佐礼神社の社の中には、
①水の神様:水天宮
②学問の神様:菅原道真公
③武の神様:(源)八幡太郎義家公 の3つの御神像が祀られているんです。
②の神様がいるので、佐礼地区の方は受験前の大晦日には佐礼神社に参拝する人もいるそうです
よ。太宰府まで行かなくても学問成就を祈願できるのがいいですね。
今回は、午前中に行った水源地清掃が示すように①の神様を祀る日で、しめ縄やお神酒を取り替え
ていきました。
ここで、佐礼神社のお供えをスタディ。

お米を葉っぱで包んだもの
竹の切り口からお神酒を入れたもの
これらを社の中の3つの御神像に供えたほか、境内にある無数の「石」にもそれぞれお供えしまし
た(↑)
これらの石には何だかとてもスピリチュアルな雰囲気が漂っていましたのでお供え増量。
そして、神事の後にはいつもの光景 ↓

地域の方と一緒に作業し、その地域の歴史や文化に触れ、そして一緒に語らせていただく。
本当にありがたいことです。
↑ 佐礼地区は、今度の南川神楽の舞台でもあります。
もうすぐだ。
神聖なスタート
諸塚村で新たな露天風呂を発掘!?

・・・・・・・いつも仰々しくて申し訳ありません。
写真(↑)は、南川公民館・佐礼(され)地区にある水源地なんです。
写真では、まるで泥湯の温泉かのように濁っておりますが、いつもは↓のように透きとおった水が湧
き出ているんですよ。

この日は、数年に一度行われる佐礼地区の水源地清掃の日。
地区の皆さんと一緒に、底に溜まった泥などをすくったりする作業のお手伝いをさせていただきまし
た。
水が濁っているのはその作業中に撮ったためだったのです。
そして、
11月から中山間盛り上げ隊・中長期支援隊員として諸塚村に赴任された木 野さん(写
真中 央)も新メンバーとして登場です。
この日が記念すべき活動初日となりました。
こんなに寒い時期にいきなり水に濡れるような活動をさせるなんて意地悪な担当者!と思われるかも
し れませんが、 今回の作業は単なる清掃活動ではないのです。
お相手は水神様。
神聖なる水源地に足を踏み入れて作業を行いますので、作業前には
お神酒(金粉入り!)で水神様におことわりを入れ、
お祀りするためのアイテムを携えて現地入りしました。
つまりは、初回にふさわしく神事付きの神聖なる活動となったわけです(スピリチュアル~!!)。
もっとも、当の御本人は水の冷たさも気にせず精力的に泥出しをされておりました。
みずがめ座の男であるにかかわらず水に濡れないように外で旗振りをしていた私とは対照的な力強
い動きで・・・・・・。

↑ 作業後は、みんなで祈願です。
山間地域では水源地の汚れなどが生活に直結するため、地域で大事に大事に管理しています。
だから、この場所でごみを捨てたりする人もいません。
普段水道の蛇口をひねれば当たり前のように水が出る環境にいる私も、なかなか水の大切さを実感
しにくいのでとても貴重な活動に携わらせていただいたと思います。
水を大切に。
劇場カメラマンは見た
"劇場カメラマン"と勝手に名乗る私の秋祭りレポートも今日が最終夜。
青年団演芸の大トリとして、最後は思い出の詰まった川の口公民館秋祭り(11月3日)に行っ
てまいりました。
この川の口公民館の演芸を盛り上げるのは黒川(くろかわ)青年団。
互いに接する黒葛原(つづらのはる)地区と川の口地区の青年により構成されています。
昨年の祭りでは、3人の女装ユニットによるディスコが息切れ御免のアンコールとなるほど大ブレイク
していましたが、今年も大幅なメンバー増で所狭しと踊っていました。
そして、こちらの地区でも劇ばかり。
旬な坂本竜馬役から懐かしの古畑さんまで登場したユニークな劇が披露されていましたよ。
南川秋祭りや家代(えしろ)秋祭りと異なるのは、事前にセリフを音声収録しておき本番はそれに合
わせながら演じるという点で、動きのタイミングを図るのがとても難しそうなんですよね。
さて、秋祭りシーズンの期間中、各地でカメラを手にしながらウロウロとしていた私が一番印象に残っ
た光景は、最前列で今にも身を乗り出しそうな姿勢で劇を鑑賞していた子供達(↑)
子供達から見た青年の演芸、そして諸塚の秋祭りって一体どのように映っているのでしょうか。
大変興味深いですね。
今後も村内では様々なお祭りが予定されていますが、青年団による「演芸」がある秋祭りは、この川
の口公民館で終幕。
演芸だけが秋祭りの全てではありませんし、地域の人が「楽しい!」と思えれば劇や踊りは二の次
だと思っています。
もちろんそこに至るまでの準備等は大変ですので、これを負担に感じる方がいるかもしれません。
けれど、
秋祭りをやることによって地元の青年が動き、物が動き、地域の人が動き、心が動く。
それぞれの地域でやっていても、大きな目で見れば村全体を盛り上げている季節行事。
それが諸塚村の秋祭りなのかもしれませんね。
ですから、私がオジサンになっても秋祭りが続くうちは可能な限り行き続けたいですね。
(既になっているよ!という御意見は受け付けておりませんから~)
諸流スター誕生
毎年11月2日は家代(えしろ)公民館の秋祭りの日。
休日ではなくても必ずこの日に行われている祭りです。
昨年も当ブログで御紹介しましたが、この家代公民館の秋祭りの名物は、何と言いましても家代青
年団による伝統の「地芝居」。
村内には、この芝居を楽しみに来られる方も多いんです。
「劇」ではなく「芝居」になりますので、うっかり「ここの劇が楽しみなんだよね~」なんて言ってしまうと
青年団の方から指導が入っちゃいます(駐在員経験談)。
さて、いくつかある芝居の中から今年選ばれたのは、「浅次郎懺悔」というお話。

↑ 踊り練習場(美郷町西郷区)で一緒になった某団員さんから事前に台本を見せてもらいました。
台本からは伝統の香りがぷんぷん。
今年も芝居のビデオ撮影を任された私は、特等席で観覧させていただきましたよ~。
写真(↑)の左上の方が主人公の浅次郎さん。
「何ゆえ主人公が懺悔!?」と思って食い入るようにして見ておりましたが、終盤には「なるほど、そ
りゃあ 謝ってもねぇ・・・ 」と、思わず私の懐の狭さがばれそうになるくらいに納得の題名でしたね。
芝居のストーリーはさておき、今年も名役者をズラリと擁していた家代青年団。
昨年度部会長をしていたM子さんの電撃引退(!?)により女性団員不在の中、 昨年"おと っつあ
ん"役を好演 した K村氏(↑:写真右)が今年は女性役 を見事に演じきり、 昨年の主人 公・T邊氏(↑:
写真 中央)も 今年は目の不自由なおじいちゃん役を熱演して拍手喝采の嵐。
ボランティアの先輩方も今や家代青年団を代表する"諸流スター"となっているようです。
話の中では、残念ながら2人とも悪人に殺されてしまったのです・・・・・・・・今年も。。
この悲劇的な展開は家代地芝居の"定番"なのでしょうか。
この泣きそうになるようなストーリー展開も、それぞれの役を演じる方の名演あってこそ!
近年若手新人が増えてきた家代青年団ですが、涙を誘うような"諸流スター"が今後も続々と輩出さ
れそうな勢いを感じました。
笑いを誘う悪人さんのスターも含めて。
諸塚の踊り子 ~再起動編~
「南川の秋祭りが終わったら、の~んびりと録り溜めしていたドラマでも見ようかな~」
・・・・・・・そう考えておりました。
されど諸塚村の秋はまだまだ終わっていなかったのです。
秋は地域行事も仕事もびっしりスケジュール。
幸せな気分に浸った先日の結婚披露宴の翌日から昨日(5日)までは休肝日なしのフル稼働状態で
した。
ようやくゆっくりパソコンと向き合える日を迎えたわけですけど、それでも自分で行くと決めた行事ば
かりでしたので不思議な達成感があるんです。
・・・・・ということで、遅ればせながら今回は10月31日(日)に行われた荒谷(あらだに)公民館
の秋祭りをレポートします!
荒谷公民館は、その地名からもわかるように荒谷小学校の校区内。
荒谷チルドレンと南川チルドレン(荒小っ子全員)による踊りが披露されていました。
スクールメイツとして抜擢したくなるようなエネルギッシュな踊り子達でしたよ。
そして、南川公民館(地区)の隣に位置する地域であるこの荒谷公民館は、我々南川青年部の活動
エリアの1つでもあるんです。
つまりは・・・・・・・・↓
もう1回、もう1回~♪ もう1回、もう1回~♪
前日の結婚披露宴から"大返し"してきた青年部の踊り子4人による再演です。
1週間空いたので忘れてしまっていないか不安でしたが、衣装を身にまとうと心身の再起動ボタンに
スイッチが入りました。
踊りの先生が前回と違った衣装を用意してくださったので、気持ちも一新していざ本番。
メガネを外していたため、会場の皆さんにはなかなか私とは気付いてもらえなかったようですが・・・
今シーズン、2回も踊れて何だか得した気分でしたね。
さて、荒谷公民館でも未確認舞踏集団が続出です。
↑↓ こんなにはじけた踊り方をするのはあの人達しかいません・・・・・・
やっぱり婦人チームでございました!
皆さん、お忙しい時期に合間をぬって練習されてきたようです。
家事もこなして踊りもこなす、そんな村のパワフルウーマン達にこの日も脱帽いたしました。
それにしても、荒谷公民館の秋祭りから1週間。
「もう」と言うべきか、「まだ」と言うべきなのか・・・・・いずれにしても中身の濃い日々を過ごしていき
たいですね。
ご縁があるよ
妻、紀州より来たる!
・・・・・・・・・・・・・・・あ、もちろん私の事ではないのですが、
先日、南川青年仲間の吉永成勲君(通称マー君)&咲紀さんの結婚披露宴が開かれたんです。
新婦の咲紀さんは紀州・和歌山県の御出身で今年4月に諸塚入り。
産業課で一緒に仕事をさせてもらっているのですが、なんだかずっと前から諸塚村にいたような感じ
がするくらいに地域に馴染んでいるように見えます。
披露宴から遡ること1週間前には、南川秋祭りの婦人チームで鮮烈デビューしたばかり。

もはや名実共に"諸塚の婦人"になっていて、お姑さんにあたるAさん(業界ではあまりにも有名なお
方)も安心して婦人部余興のメインを任せられることでしょう!?
ところで、諸塚村には新婦の他にも村外(県外)から嫁がれた方がたくさんいらっしゃいますけど、私
的には「この方は生まれも育ちも諸塚村でしょ!?」って思ってしまう方がほとんどなんです。
一生のうちに出会わない人や行くことのない場所があることを考えると、諸塚に嫁がれた人達もやっ
ぱりこの場所に「縁」があったのだと思いますね(前も同じ事を書いたような・・・・・)。
他地域から嫁いでくるのは諸塚村に限ったことではありませんが、普段あまり考えないような事が思
い浮かぶのは「人と人とのつき合いの深さ」になるのかもしれません。
さてさて、話は戻りまして披露宴の日。
新郎のマー君から余興のトップバッターに御指名していただいた私は、緊張をほぐすために近年まれ
にみるハイペースでお酒をたしなんでしまい・・・・・・・・・・「別の顔」を出してしまったようです(笑)
マラソンに例えれば1キロ付近で飛び出しちゃった感じでしょうか。
若い2人が初々しくてまぶしかったんです(泣)
おめでたい席に免じてお許しをば。
そして、2人に幸あれ~!!