2009年10月の記事
諸塚の青年
先日の南川秋祭りでも触れましたが、現在南川地区の青年団(10人)に所属しています☆
青年活動の内容は、秋祭りだけではなく清掃活動や地域の方との交流会など様々です。
以前は村内各地区に青年団があったようですが、今では南川の他に「家代(えしろ地区)」と「七ツ山
地区」の3地区だけとなっていて、村の青年団名簿登録者は約30名という状況なんですよね。
(↑ 青年会長による御礼の挨拶 10.24 )
そんな青年団への入団きっかけは、「座頭祭り」の反省会(4月)の時のこと。
南川青年団の会長をしている山本大陽君(26歳・写真中央)から「南川の青年に入らんですか?」と
誘われたんです。
当時まだよく状況がわかっていなかった自分は、「楽しそう!」という甘い考えで返答。
その後、「やっぱりよく考えて入ろうかな」と思い、家族会議等を経て最終的に決めようとした時には
登録済みになっていたのです・・・・・・・(はやっ!)。
ボランティア(ふるさと協力隊)の汐崎君も同じ手口で入団。
後に家代青年団の会長M子さんから「南川に先を越された!」と悔しがられることに・・・・^^;
ちなみに、青年団は基本的に35歳まで可なのですが、結婚等を機に退団される方も多いようです。
ただ、以前のように人数が多くないこともあり、最近では結婚後も続けている人もいます。
そういった中で、32歳の私はルーキーでありながら村内青年団ではよもやの最年長級!
これも入って判明した驚愕の事実だったわけですが、非常に微妙な立場なんですよね・・・。
自分もなるべく周囲に気を遣わせないように必死に若づくりに励んでますが、それ以前にみんなが
年の差に関係なく親しく接してくれるんで助かってます^^
しかし!です。
20代中心の青年団ですが、みんなものすごくしっかりしているんですよね。
(青年団に限らず、村全体で感じる印象です。)
役割分担も明確にされてて責任持ってやっていますし、何よりも地域の事をしっかり考えているんで
すよね。
そうでなければ、時間的にも精神的にも大変な青年活動はやれないと、個人的には思います。
ただ、飲み会等になるとやはり今どきのアラトゥエ(20代)・アラサー世代で、そのはじけっぷりは見
事ですよ^^
以前よりは人数が少ないので、各種活動においても一人一人の役割が大きくなりつつありますが、
いいものは残しつついつまでも活動が存続してほしいですね。
将来は名誉団員として駆けつける所存です!・・・・(35歳まで)
喝采
♪いつものよう~に幕~が・・・・・・開く前の写真ですね(↓)
あれは4日前♪
・・・の24日(土)のことになりますが(更新遅延・・)、南川地区の秋祭りが盛大に行われました!
当地区の青年団に入っている私は、今回主催者側の立場で携わり、劇や余興にも出演させていた
だいたんです。
南川地区の場合、当日朝から地区の神社で神事、夕方から演芸の部という流れになっていて、
演芸の部では、青年団による劇・余興・舞踊をはじめ盛り沢山のプログラムが披露されるんです。
厳密に言うと我々は前夜祭(23日)と反省会(25日)を含めて3日連続でしたが・・^^;
演芸開始前には、地区内外から多数の方が公民館に集まり、最前列には地区の子供達がずらりと
陣取り。子供店長ならぬ子供審査員って感じで緊張しましたね^^
まず序盤は、青年団による劇「帰ってきた水戸黄門☆」の上演です。
聞くところによると、諸塚村内では南川地区の「笑わせる劇」と家代(えしろ)地区の「泣かせる劇」が
青年の劇の定番になっているようですね。
「帰ってきた~」というタイトルからわかるとおり、南川では例年水戸黄門ネタが多いらしいです。
↑中学3年生以来の劇でしたが、アドリブの連発に焦りながらも、大根のように太い精神で臨みました。
このあと、門外不出・撮影厳禁の余興にも出ましたよ^^;
↑子供達による「箕舞(みぃまい」。当地区に伝わる神楽とも深い関係がある伝統的な踊りです。
↑そして・・・・、圧巻だったのは地元婦人部による「南川女子十二楽坊」(いつもは「十三楽坊」)
異様な雰囲気で登場した黒い美女軍団(!?)に会場は拍手喝采の嵐。
このメンバーは、この後「南川ガールズコレクション2009」にも登場。2つもやりこなす婦人部のパワー
には恐れ入りました^^;
さて、青年団では、この日のために9月上旬から少しずつ脚本作成・小道具作り・稽古に取り組んで
きたんです。終盤は打合せや練習が深夜にまで及びました。。
時には仕事と青年活動との両立に悩むこともありましたが、青年活動を通じて地域の実情にも触れ
ることができ貴重な経験になったと思います。
そして、何よりも会場からの温かい拍手喝采が、来年も頑張ろう!というエネルギーに変えてくれま
した。
またこの祭は、青年団の他に地区の役員の方、青年OB、そして婦人部の方々の強力な連携によっ
て成り立っているんですよね。
当日は、 親元を離れて暮らしている高校生や、村外にいる地区出身者もたくさん帰ってきてました。
こういった地域による手づくり満載の祭りがいつまでも続いてほしいと心から願うばかりです。
体育大会と秋祭りが終わり、激動の10月も幕を閉じようとしています・・・。
いつかこの経験を「あれは3年前♪」って懐かしむ日が来るんでしょうね^^
シーズン開幕、そして「中山間盛り上げ隊」
諸塚村では、全16地区のうちほとんどの地区で春祭りと秋祭りが実施されています。
私も春祭りの時期に4地区ほど参加させていただきましたが、地区によってカラーがあって、どの地
区に行ってもおもしろいんですよね。
共通するのは、アルコール摂取量がどこも多いという点でしょうか・・・・。
春には、帰宅後いろんな方にほろ酔い状態(!?)で電話して御迷惑をおかけしたものです^^;
今年も米の収穫とともに各地区で秋祭りのシーズンを迎え、10月17日の飯干地区を皮切りに昨日
までに7地区で催されています。
来週からはいよいよ後半戦ってとこでしょうか。
そして、今年は県内各地で支援活動を展開している「中山間盛り上げ隊」の方々にも、秋祭りの準備
や当日の運営のお手伝いをお願いすることになりました。
今回お願いしたのは小原井(おばらい)地区と立岩地区(立岩は2回目)の秋季大祭で、私は小原井
会場に同行。
小原井地区では、25日に行われた小原井神社秋祭りの前日の準備に、盛り上げ隊2名と事務局か
ら3名の方が駆けつけてくれました。
地区の方への自己紹介の後、会場設営を開始。
盛り上げ隊に来ていただくのは3回目ですが、隊員の方と地区の方々が一緒に作業する中で、自然
と会話が生まれるのがいつも見る嬉しい光景です。
今回も、しめ縄作りの際に、地区の方から「いい経験になるからやってみない」とのありがたいお言
葉。少々いびつな形になったパーツもあるかもしれませんが貴重な経験にもなったと思います。
(↑しめ縄作りの様子)
(↑ 最後は作ったしめ縄を鳥居に飾り付け)
それにしても、しめ縄って1本1本のわらの積み重ねなんですね。
(↓ あっという間に縄を編んでいくベテランの方のスピードには驚きました。)
地区の方の中には、「盛り上げ隊」と聞くと祭等の中で余興をやって場を盛り上げるというイメージを
持っている方もいるようでしたが、隊員の方との会話の中でこういった誤解も解消されているようでし
た(私ももっと村民の方にPRしなければ!)
また盛り上げ隊の方に来てもらいたいとの声もいただきました!
このような活動を機会に、地域との交流が生まれ、やがては事業や制度を超えて繋がっていけた
らいいなと思いますね。
そしてこの日。
午前中の作業を終え、私は自らも出演する南川地区へと向かったのでした・・・・。 つづく
諸塚サカス
私が愛用する自転車です・・・・・・が、現在パンク中なんです。。
(↑ 少々の錆はご愛敬ということで・・・・)
平成18年4月に購入したこの愛車も御歳3歳半。
宮崎市から一緒に越してきました。
実は、村内に自転車屋さんがないのでパンクの修理ができない状況なんです(T_T)
誰か修理してくれないかな~とか、日向から自転車屋さんが出張サービスしてくれないかな~
という淡い期待を抱き続け1ヶ月が過ぎようとしていますが、このままでは本当に復活できなくなり
そうなので、そろそろ自分で修理スキルを身につけようかなと思案中です^^
それはさておき、そもそも「1ヶ月も放置しているということはそんなに困ってないのでは?」と思われ
るかもしれませんね。
そうなんです。
現在は宿舎からわずか1㎞の区間を車で通勤してます^^;
というのも、山間部の村内は坂また坂の連続で、自転車をこぐにはかなりの体力がいるんです。
私が住む滝の下地区は、村内でも比較的フラットな部分が多いと思われるのですが、
いざ自転車をこいでみると結構きつくて、かつての東京国際女子マラソンで言えば魔の39キロ地点
を彷彿とさせる坂ばかりです(走ったことはありませんが、なんとなくニュアンスで)。
隣の塚原地区に行くにしても、「地獄坂」という超難所をはじめ、空に向かっていくかのような勾配の
坂が待ち構えています。
(↑ 写真では割とフラットに見えますが、自転車では結構きつく感じますよ)
(↑役場入り口の坂。自転車通勤時には最大の難所ですが、帰りは楽ちん)
5月頃の話ですが、昼食後にひーこら言いながら自転車をこいでいると、向こうから徒歩で家に帰って
いる役場職員のK太氏と遭遇。
「寺原さん、この辺で自転車に乗っている人って珍しいですよ~^^」というその時の言葉の意味が最
近ようやくわかってきたところです。
たしかに自転車に乗っている人をほとんど見かけないんですよね・・・・。
私が知っている限り、この辺りではお二人ぐらいでしょうか。
坂以外にも、集落間の距離が長いという大きな要因がありますが、村内に自転車屋さんがないのも
納得できるような感じです(ニーズの問題)。
それでも、慣れ親しんだ自転車を見捨てるわけにはいかないし、体力作りにもなりますので、早いと
ころ自転車通勤を再開したいですね。
そのうち、「お兄さん、エレガンス!」と言われるくらい軽やかな自転車さばきが見せられるように^^
アンテナはってます!!!
こちら(↓)のお店をご存じでしょうか?
このお店は、諸塚村と宮崎市、延岡市(旧北浦町)が共同で設けているアンテナショップ「ふる
さと物産館 海幸・山幸」で、宮崎市内の橘通り沿いにあるお店なんです。
その名のとおり、海の幸と山の幸が取り揃えられたお店で、「どっちの料理ショー」みたいに海料理
か山料理かで迷っても両方選べるナイスな物産館となっております。
「山の幸」に関して言えば、大半が諸塚村コーナーとなっていて、村内の新鮮な農作物や、以前御紹
介した婦人加工グループの商品等が多数販売されているんですよ^^
(↑ 店内には諸塚村の特産品「しいたけ」がずらり!)
(↑ とれたての旬な野菜もいっぱいありますよ。)
私も3月まで宮崎市に住んでいて、この物産館の存在は知っていましたが、よもや諸塚村のお店だっ
たとは・・・という感じでしたね。
今では宮崎出張の都度立ち寄り、帰路に食べるおやつ(黒岳まんじゅうとか)をゲットしています。
様子を見ていると、橘通り沿いを歩いている婦人の方などが立ち寄り、新鮮な野菜を買い求められて
いる姿をよく目にするんですよね。
やはり、「安心・安全」そして「新鮮」な品揃えが魅力なのかな~と感じています。
さて、今年も実りの秋を迎え、23日(金)に「海幸・山幸!秋の大収穫祭」を開催するこ
ととなりました!
当日は、「海幸・山幸鍋」のふるまい、伊勢エビの量り売り、栗おはぎなど心のアンテナがびんびん
倍増するような豪華ラインナップとなっていますよ。
詳しくはこちら
(↑ 売り切れ御免の名物「椎茸寿し」です。諸塚の椎茸は肉厚なので食感も含めて☆☆☆です^^)
御来店を心よりお待ちしております!!
私は当日仕事があるので諸塚です・・・・(T_T)
リターンズ
稲刈り再び!です。
前回の稲刈りで経験値を上げた私は、2回目のベテラン作業隊として召集されたわけですが、
場所は宿舎から100メートルほど下流にある田んぼ(しいたけの館21敷地内)です。
今回は普通のお米ではなく、6月のエコツアー時に田植えした古代米(赤米・黒米)の収穫でした。
・・・と言ってもパッと見た感じでは違いがわかりませんね。
さて、今回の作業は、田んぼ1枚だったこともあり、企画課の課長補佐と3人の青年隊(また!?)で
敢行しました!
この3人、共通するのは全員が4月からの諸塚村民なんです。
いわば「転入同期」ですね^^
(写真は白川郷をイメージしたつもりですが・・・・なまはげ!?)
最年長者は省略するとして、年齢順に御紹介。
まず1人目は汐崎耕輔くん(4月時点で25歳・神戸市出身・通称ざっきー)です。
汐崎君は、地球緑化センターの「緑のふるさと協力隊」の8代目として、諸塚村内でボランティア活動
を行っています。ある時期は茶工場、そしてまたある時は畜産センターで牛のお世話等・・とその活
動内容は様々です。
もともと世界中の海を渡り歩いていて、今は山と向き合っているんです。
1年間という任期付きですが、既に心はどっぷりと諸塚にはまっているようなので、今後の動向を密
かに注目しています(リターン候補!?)。
また、来週には江戸時代の格好で御紹介できると思いますよ^^
2人目は田邉薫くん(4月時点で24歳・東京都出身・通称べーやん)です。
実は田邉君も遡ること3年前に、「緑のふるさと協力隊」の5代目として諸塚村でボランティア活動をし
ていたんです(現在は観光協会職員)。
大好きな自然、そして諸塚の人々の優しさに触れ、諸塚へのIターンを決意しこの春帰ってきました。
その点では我々の先輩なのですが、実際も24歳とは思えない落ち着きと豊富な山村経験にかなり
助けてもらっています。
いいことばかり書きましたので、そろそろ某飲み会での粗相話を・・・・・。
村民の方から見るとなかなか3人の区別がつかないようで、私も当初はよく「あんたは今度来たボラ
ンティアの人?」とか「今度帰ってきた人やね?」とか間違われていました。
「ハムの人」みたいな(笑)
特に、同じメガネ派の田邉君とはよく間違われるんですよね~。
そんな時はよく「なりきり汐崎」とか「なりきり田邉」になって得したものです^^;
4月~5月頃の各地区の春祭りシーズンにはいつも3人一緒に自己紹介したのですが、
今となってはあの頃が懐かしいですね。
2人ともボランティア活動をはじめ地域の活動に参加することで顔も広いのですが、本当に村の方々
に大事にされているのがわかるんですよね。
村に帰るきっかけも単に雇用の場があったからではなく、こういった要素が非常に大きかったのかな
~と思うことがあります。
そこのところは、今度我が家で定期的に開催している座談会(飲み会)の時に酔った勢いで
聞いておきますね(普段はなかなか照れくさくて聞きづらいので。。)
さて、実はボランティアをされていた方で諸塚に帰ってきた人は私が知る限りあと2人いるんです。
8代までの協力隊のうち3人帰ってきたというのはすごい事だと思います。
これまた現在出演交渉中ですので、またあらためて御紹介しますね。
「諸塚キャッツアイ」結成の日も近いですよ^^
村民の方の愛情が着実に実りつつあります。
感謝して
最近、いろんな方から「(顔が)焼けたね~」と言われます。
以前に比べて確実に外出頻度が高まっているので当然なのですが、極めつけは先日の稲刈り作業
ですね。今はカールおじさんより日焼けしてるかもです^^
この前の連休中、役場同僚のNくん(26歳ホヤホヤ・新婚ホヤホヤ)の実家がある川の口地区で、人
生初となる稲刈り作業を手伝わせていただきました。
標高約650メートルにある田園に到着すると、一面に稲穂の波。
全体的に稲が倒れていたので、機械で刈りやすいように敢えて倒したのかと思いきや、
数日前の台風の風で倒れたそうです・・・・。
もともと川の口地区は風が強い地域らしく、加えて、今年は稲の成長が良すぎてまともに風を
受けてしまったようです。
こうなると、機械が通しにくく作業時間は倍増します。
「石ころ蹴飛ばして~♪」なんてのんきに歌ったものなら怒られそうです(笑)
しかし、現在の農業用機械の性能は素晴らしい!
稲を刈ると同時に紐を巻きつけて束にしていくんです。
稲穂が倒れていたので大変そうではありましたが、手で刈るよりは圧倒的に早かったですね。
さぁ、我々の仕事はここからです。
竹で稲を干す台を作り、束になった稲をどんどん干していきます。
↑作業前は余裕の表情です^^
最初は馬力がありましたが、体重が土に吸収されることで体力を消耗していき、徐々に失速していき
ました。
おまけに、地面では各種生物が総避難を開始しており、下を見ながら神経も使いました^^;
やがて、とてもありがたい助っ人集団が登場。
自家の作業を終えた川の口地区の方々が次々に集結して手伝ってくれたんです。
地区の方が20名近くも集まって作業を手伝うのは久しぶりだったようですが、やはり数の力はすごく
てとても助かりました。
↑川の口地区の皆さんが集結!写真は休憩中のものですが・・・。
こうなると、手際よく作業が進められあっという間にこの光景(↓:作業後)
すっかり秋の深まりを感じさせる景色に様変わり。
毎年稲穂の波を見ると、自分達の食を支えていただいていることを感謝しなければと本当に考えさ
せられます。
最後は、猪に荒らされないように電柵に電気を流して作業終了です。
川の口地区座談会再び!?と思わせる怒濤の第二部がスタートしたのはそれから間もなく
のことでした・・・・・・。
ガッツ出しました!
秋晴れに恵まれた三連休の中日に、諸塚村民体育大会が開かれました。
(スポーツの秋なだけに、最近体育大会ネタが多いですね。。)
(↑今回の大会では、入場行進時に「いきいき集落」の旗も登場しましたよ。)
今回は自分自身も人ごとではすまない大会となりました。
そう!
選手登録されてしまったんです。
村民体育大会は、村内16地区を4つの団に分けており、自分が住む滝の下地区は白団でした。
ある日、地区の体育部長兼宴会部長のMさんから着信アリ。
「とびっきりの出場種目を用意しました。100メートル走の30代の部です!」という連絡でした。
・・・・・・・とびっきり足が遅くすっかり運動を怠けていた私は絶句。
次の瞬間から、「他の種目はないですか?ムカデ競争とか、ムカデ競争とか、ムカデ競争とか!」
と必死に交渉しましたが、Mさんの巧みな説得と30代が少ない(!?)であろう我が地区の事情
を察して覚悟を決めました。
翌日から、「野良猫ガッツで頑張ろう!」を個人スローガンに(ちょっとだけ)走り込みを開始。
小学校の真っ暗なグランドを走りながら、某マラソン選手みたいに自分で自分を褒めたくなりまし
た(笑)
ということで、そわそわしている間に日は流れ当日を迎えたわけです。
当日は、役員で出発準備係をしていましたが、ごらんの通り(↑)仕事どころではなく入念にアップ。
そして、あっという間に出番(プログラム3番)。
(走っている姿は恥ずかしいので写真割愛です)
本当にドキドキしたし、疾走中太ももがつりそうにもなりましたが、ケガもなく無事走り終えました。
総務課のMさんから「あれ!?寺原君もう走った?あんまり遅くて見えなかった(笑)」という
お言葉。
愛のムチですよね?
こんな感じで、とにかく周囲の温かい応援がとてもうれしかったです。
自分の事で精一杯だった今大会ですが、8月の東臼杵郡の体育大会とはまた一味違い、
村内の幼児からお年寄りまでが参加するほのぼのとした大会でした。
↑全員で踊るダンス「マイムマイム」の光景をしみじみと見ていました。
つい「うまいドンブリ♪」と口ずさんでしまいましたが^^;
そして、やっぱり「玉入れ」。(↑)
空中の玉の固まりがレベルの高さを表していますよね。
(この写真、郡大会の使い回しではないですよ)
最後の種目は、私が短距離の代わりに出たかった「ムカデ競争」。
10代からお年寄りまでがタスキをつなぎ、応援にも力が入りました。
↑全ての団で、このように競技者と応援者が一緒にゴールする光景があり、団結力を感じました。
諸塚赴任後最大の試練(!?)を乗り越え、心身ともに軽くなりました^^
さてさて来年の出場種目は・・・・・・・!?
みちきり
先日の中尾地区作業では、男性陣8名が2班に分かれ、水源地まで6㎞の道沿いの草を鮮やかな
スピードで刈っていました。
諸塚では道路沿いの草を刈ることを「みちきり」といいます。
夏の間は、あちらこちらでこの「みちきり」をしている光景が見られるんです。
ちなみに、朝に草刈りすることを「朝山」、夕方の作業を「夕山」(ゆうやま)と言うそうです。
「夕山」とか聞くと涼しい感じがしますが、草刈りとなると夏は夕方でも大変ですよね。
地区によっては、競うように「みちきり」をする地区があるのを聞いたときはびっくりしました。
みちきりを競うという某地区の村政座談会の時のことですが、その地区に入ると、道路沿いの草が
きれいに刈られていたんです。
それを見て「なるほど~」と納得。
見たときにとてもいい感じがするし、本当にありがたいことだと思いました。
諸塚村では、ほとんどの人が草刈り機を1台持っていて、刃の手入れまで自分達でちゃんとやってい
るんですよね。
ちなみに、このあたりでは除草剤を使うところをあまり見ないんです。
その理由を聞いてみたところ、除草剤の使用によって根まで枯れてしまい、地盤が緩んでブロック積
等の構造物が崩れる恐れがあるからだそうです。
また、あまり心配はないのですが、水が命の山間部では土壌や水質を守るために敢えて使用しない
という方もいます。
こういうところでも山を守るための想いがあるのだなと感心しました。
しかし、このみちきり作業は、高齢化や人口減少が進むにつれ、ここ諸塚でも1人あたりの作業量は
以前に比べると結構増えているようで、年々大変になってはいるようです。
自分もある時は「手鎌隊」、そしてまたある時は「草収集隊」として、作業サポートのエキスパート
になれるよう頑張っていきたいと思います。
作業の秋
十五夜の翌日(日曜日)は雲一つない見事な秋晴れでした!
今回は、役場の先輩が住む南川地区中尾の防火水槽清掃&草刈り作業に参加させてもらいまし
た。
この中尾地区では、通常の草刈り作業とは別に、年に1回集落から6㎞(!)離れた水源までの草刈
りと、農業用水等にも利用する防火水槽の清掃を行っているそうです。
中尾地区は5世帯。
子供から大人までほぼ全員が参加です。
殿方は草刈り、奥様方・子供・草刈り機が使えない私ことTは防火水槽清掃班となり作業開始です。
できれば中尾地区のプリンス・しんちゃん(3歳)の子守が良かったのですが^^;
↑集落内にある大小4つの防火水槽を一つずつ巡り、溜まった泥水をバケツリレーしながら外に出し
ました。
水の中には鯉や特大サイズのカエルも入っており、「ぎゃー」とか「わー」とか悲鳴が飛び交いながら
も順調に作業が進んでいきました。
↑2つ目の防火水槽。だんだんサイズが大きくなってきました。
ここまでくると、気持ちは完全に「千と千尋の神隠し」〈2001年〉の油屋シーン(浴槽そうじ)。
端の方でせっせと磨いてましたよ。
作業中は、皆さんと話しながらやっていたので特にきつくもなく、あっという間に終わった感じです。
とびっきり元気な若奥様(!?)にかわいがっていただきながら・・・・。
「自分達の利用する施設は自分達で管理を-」
当たり前のようにありますが、御高齢の方が重いバケツを運んでいる姿を見ると何だか・・・・・。
もっとも御本人達にしてみれば「何ちゃことない」って感じでしたが^^
当日清掃に参加された方の中には、70歳以上の方もいらっしゃって、防火水槽のハシゴをスイスイ
と登っていく姿はまさに青年(自称)顔負けでした。
それにしても、大汗警報が出る夏に比べて、秋の作業はなんてやりやすいんだろうと思いました。
やっぱり屋外作業は秋がいいですね!
最後は草刈り班(後日別テーマで御紹介)と合流して作業終了。
作業後は、同地区コミュニティセンターでの焼き肉にもお呼ばれしちゃいました。
再び元気な若奥様に戦々恐々としながらも、楽しいひとときを過ごしました^^
ちょうどその頃・・・。
ハチ獲りハンターが私を誘ってくれようと携帯に電話していたそうですが、
ちょうど中尾地区では電波が入りにくくなっていたようで・・・・・・。
損したのでしょうか!?それとも命拾いしたのでしょうか^^;
十五夜日記
立岩地区にある桂(かつら)という集落の「十五夜祭」に御招待いただきました。
会場となったのは、桂にある村施設「学びの館」。
林業関係の研修や交流を目的に建てられた施設で、エコツアーの交流会&宿泊でも利用されていま
すが、最近では東南アジアやアフリカの方と地元の方が交流する国際交流の場にもなっています。
主役の満月登場よりも一足先に宴を開始。
今回も、いつものように飲みのギアをトップに入れ気味でしたが、学びの館にふさわしくいろんな「学
び」がありましたので、エンジンブレーキを試みました^^
桂地区在住で村議の梅田義輝さんの御挨拶では、
「最近インフルエンザが蔓延しているが、もっと心配なのは『自分さえよければいい』という病気が蔓
延しつつあること」というお話がありました。
この話は、世相を含んだもっと大きな意味での話ですが、諸塚村に住んでいても「自分さえよけれ
ば・・・」という考えでは地域の活動が成り立たない場面がけっこうあると思うんですよね。
私自身も、ここ諸塚での生活はもちらん、いろんな場面でこの「病気」にならないようにしなければ・・
と少し考えさせられました。
昭和54年から4期にわたり村長を務められていた甲斐重勝さん(桂地区在住)ともお話をさせていた
だきました。
重勝さんとの話の中で一番印象に残ったのが、「お金や言葉だけでは森林は
守れない」という持論。
集落が点在する諸塚村において、様々な条件不利を解消するために取り組ま
れたことや、経験を通じて感じる限界集落や産業の後継者育成問題について
の話などたくさん聞かせていただきました。
(写真:甲斐重勝さん)
また、諸塚村では、1年間ボランティア活動で暮らし、数年後にまた村に帰ってきた方が何名かいら
っしゃいますが、これも単に雇用の場があったからというだけではなく、諸塚での生活の中で特別な
何かを感じたからではないかとおっしゃっていました。
これは私も何となくわかるような気がします。いや、それを語るにはまだ早いですね。。
※村に帰ってこられた方々については、現在ブログに出演交渉中ですので、本人納得の写真ができ
次第御紹介したいと思います。
さて、学んだ後はよく飲みましたよ。
桂地区は5世帯ですが、元気度は数だけでは計れませんよね。
とても楽しい時間を過ごさせていただきました!
主役の満月が登場した頃には・・・・・・(眠)。
What do you think this is?
諸塚中学校ALTのアダム先生から教えていただいた、習いたてホヤホヤの英語を実践させていただ
きました(英語も再学習が必要なようです・・・)。
さて、下の写真に写っている木の株みたいなもの。これ何だと思われますか?
これは、「ミツバチうと」と言ってミツバチ獲りの仕掛けらしいです。
ミツバチが掛かっていれば、中にはおいしいハチミツが入っています。
諸塚村内でも、車で走っているとあちらこちらで見かけるんですよ。
「ミツバチうと」だとすぐにわかった方は、中山間検定(があれば)5級ってとこでしょうか!?
ミツバチとはいえ刺激は禁物・・と素人なりに判断。
そこで、自分のデジカメが故障したことを理由に、我が企画課が誇る優れたズーム機能搭載カメラを
拝借し、離れたところからそろーっと撮ってまいりました。
このカメラさえあれば、自称ハチ獲りハンターY君(諸塚村南川・26歳)から猛烈に誘われている
クマバチ(=オオスズメバチ)の巣の捕獲にも同行できますね。
・・・・・いや、やっぱりやめとこうかな。。
それにしても、今は本当にスズメバチ(諸塚の方は「アカバチ」と呼んでいます)やクマバチが旬のよう
なんですが、諸塚に来てから何匹食育体験(初めて!)したことか・・・・。
新しいデジカメの棚卸しの際には、蜂そ~めん等の各種蜂料理を御紹介しちゃいますね。
最後は、ハチにまつわる夏夜のエピソードです。
役場内に1匹のアカバチが迷い込んできて、頭上にある電灯の周りを飛んでいました。
びびりまくっている自分とは対照的に、一緒にいた企画課の先輩方は誰一人見向きもせず黙々とパ
ソコンに向かっていたんです!
恐怖のあまりカラータイマーが鳴り始めた私は、隣席の先輩に「ハチ!ハチ!」と訴えたのですが、
「大丈夫。何もせんから。」と一蹴・失笑されてしまいました。
たしかに、その後も何事もなかったのですが、ハチも巣に近づいたりとかしない限りはファイティングポ
ーズはとらないようです。
諸塚の皆さんは、ハチの特性をよくご存じなんですよね。
一つ心がたくましくなった真夏の夜の事件でした。