2012年5月の記事
石に願いを
登山は続くよどこまでも~♪
すっかり見慣れた森林の中の登山光景となってしまいましたが、これまた別の山。
日之影町の「天の古道」での激闘から2週間も経たないうちに、今度は日向市・田の原(たのはる)
地区にある「石神山」(いしがみやま)を登ってまいりました。
え、「そこまでして定期健康診断に備えているのか!」ですって!?
・・・・・・そうです。
と、言いたいところですが今回はお仕事の一貫でございました。
先日、県議会総務政策常任委員会の現地調査が行われ、昨年度県の「いきいき集落」に認定された
田の原地区も視察先となったのです。
地区の方々に地域の取組内容や現状をお話しいただいた後、地域の『資源』として近年あらためて見直
しているこの「石神山」を出席者全員で登ってみることになりました。
石神山の山頂部分には無数の巨石群(↑)があるのですが、「神」という文字が示すように、神話にま
つわる伝説や「神の墓」という意味があるなど、これまた私Tお気に入りのスピリチュアルな雰囲気がぷん
ぷん漂っているんです。
山頂の巨石は、一見するとただそこに群がっているように見えますが、神武天皇が舟出した海がある東
の方角に向かって規則的に並んでいたり、模様が刻まれていたりと、ピラミッドを彷彿とさせるどこか謎め
いた石です。
近年は地区外からも注目・紹介されるようになり、地区の方々にとっても、驚きと自慢の石神山になりつ
つあるそうですよ。
こりゃあ、私も石神さまに願い事をしておかねば!
腹囲の基準クリア、100キロリレー完走、玉入れ大会必勝、そして幸せ・・・・・・・・多すぎますね。。
さて、標高330mの小さな石神山の登山で気楽ではありましたが、
登山開始直後にどなたかが「そろそろマムシが出るとよな~」と言ったものですからさぁ大変。
「マムシおらんやろか、マムシおらんやろか」と気を張って登ったためか、予想以上に体力を消耗しまし
た。。
今季は大小3つの山頂アタック(諸塚山・天の古道・石神山)に成功!
「これで昨年(わずか)2㎝オーバーした腹囲もバッチリやわ」
・・・・・・と思いきや、週末の大阪で串カツと粉もん三昧により食いだおれてしまった私Tのお腹は、心なし
か登山前よりも膨張しているのでした。
努力と願いもむなしく、本日いよいよ・・・・・。
都農ふぐ丼
ご当地グルメが、各地で生まれていますが、
都農町に2月デビューしたのが、「都農ふぐ丼」!食べに行きました。
都農町の名産である金色のふぐ「シロサバフグ」が、ところ狭しとご飯の上に乗っていて、
ふぐダシたれ、梅だれ、もみじおろしだれ、の3種類のたれをかけていただきました。
ふぐの身に焼き目を入れる「やっきり」という調理方法で、(カツオのたたきのような感じ)
小エビなども付いて880円・・・うーんリーズナブル。
町内4箇所で「都農ふぐ丼」のぼりが立っています。
さて、都農と言えば、やはり都農神社。
古事記がらみでいうと、
神武天皇が東遷の際に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し、
祭神を祀ったとされる場所で、大己貴命(おおなむちのみこと)が御祭神です。
蓮の花が咲いていたり、撫で大国とか、撫でウサギとかもあったり、
いろいろ楽しめるのですが、
日向国第一の大社であり、
平成の大造営で19年度に新しい御社殿が造られたとのことでした。
最近、行かれていない方、ちょっと寄って見てはどうでしょうか。
豆と魚
この5月にあった出来事を ダイジェストでお届けします。
(まだ5月が終わったわけではありませんが・・)
先ずは
西都市の祖母宅で
「えんどう豆」を採りました。
← エメラルドグルーン、綺麗ですね!!
実はこの日、人生初めて 収穫作業。
公私ともに、人生 経験してナンボという事を
肌で感じる 今日この頃(p_-)
↑ なんだか 意味深ですが
特に意味はありません ((+_+)) ハイ。。
← 息子が
皮をむいて豆を取り出しているところ。
時間にしてどれぐらいでしょうか。
30分近く 、この地味な作業を してました。
本当に集中力のある子です。
(=親バカ!?(-_-;))
この後はもちろん、
豆ごはん にしたりして美味しく頂戴しました。
当たり前のように口に運んでいる「食べ物」。
でも、そこに至るまでには測り知れない
「労力」や「時間」をがかかっていることを
忘れてはいけませんね。
「食べ物」とその作り手の方々に感謝です。
ごちそうさま、そしてありがとう (>_<)
続いて、
宮崎市内海に魚釣りに行ったときの写真です。
残念ながら
この日は
3匹しか釣れませんでした・・・ でも、
自分たちで釣った魚は美味しいもので、
から揚げにしたら、お腹いっぱいと
言っていたはずの息子もパクっと
食べてました(#^.^#)
次こそは一杯釣るぞー!!!(^.^)/~~~
熱き古道の果て
『体脂肪の燃焼には山歩きが一番効果的じゃないの~?』
上半期最大の"ヤマ場"である定期健康診断を約2週間後(当時)に控えていた私事務局員Tは、そんな
周囲の揺さぶり(お誘い)にコロッと流されて、諸塚山山頂アタックから中2週間での強行出陣を決意!
5月13日(日)に日之影町で行われた「天の古道」(あまのこどう)の初歩きに参加させていただ
きました(↑)
「天の古道」は、日之影町見立(みたて)地区と高千穂町岩戸(いわと)地区を結んでいる里
道で、古くは、かの有名な天岩戸神社へ参詣する際の道としても使われていたらしく、これまたとても霊
験あらたかな"スピリチュアルロード"のようですね。
その古道を整備し、見立地区から岩戸地区まで向かうこの「初歩き」が始まったのは数年前のこと。
古道の再開拓から記念すべき第1回目の初歩き開催に至るまでのお話は、懐かしの元日之影駐在員F
さんの「日之影ブログ」に連続シリーズで克明に刻まれていますよ。
さて、恐れ多くも「脱・洋なし型体型!」という不純な動機を内に秘めながら、甘い気持ちでFさんのお誘い
に乗ったわけですけれども、古道の入口でそれは洋なしよりも甘かったことに気づかされます・・・・・。
普通の運動靴を履いている私とは明らかに違う周囲の本格的な装備を見て次第に不安が募っていき・・・
・・・・的中!!
序盤から予想以上の勾配で・・・・・・・・すぐさま杖を探しました。
通称"心臓破り"のポイント(↑)では、「なんじゃこりゃああぁぁぁぁ~~!?」と日之影でもほえまくるT。
この時点で既に「上を向いて歩こう!」というポジティブな考えは消え去り、心だけ「タケコプター」に乗って
飛んでいきそうでした。
けれども、山歩きがきつければきついほど山頂到達時の感動も倍率ドン!ですね。
湾洞(わんず)峠から少し登った山頂付近の眺め(↑)は絶景で、岩戸地区や祖母山・傾山まで見渡すこと
ができました。
山登りと岩戸神社詣が組み合わさったこの古道歩き。
そのユニークさもさることながら、この古道を再び開拓された方々、そして元日之影駐在員Fさんの熱い思
いが感じられて、終盤に向かうに連れ次第に心臓の鼓動とテンションが上がっていったTなのでした~。
↑ センターに盛り上げ隊の次世代エース(?)を据えて、山頂にて喜びのポーズ!
(コンセプトは、私のわがままリクエストでTコーポレーション・・・)
諸塚山登山、天の古道の初歩き・・・と順調に減量のエレメンツをこなしていったTは、この後図らずも腹囲
測定に向けて"得点の上乗せ"(悪あがき)を狙うことになるのですが、そのお話もまたいずれ・・・・・・。
コーディネーターが地域にやってくる!
平成24年5月18日
財団法人宮崎県産業支援財団(宮崎市佐土原町)内に『中山間地域産業振興センター』が
オープンし、センターの看板が設置されました(↑)
この中山間地域産業振興センターは、農林水産物や観光資源など中山間地域のもつ様々な資源を活用
した新しい取組みを応援するために今年度から新たに設置されるもので、専門のコーディネーター・中山
間地域産業振興コーディネーターが県内の中山間地域を回りながら地域からの相談に対応い
たします。
高齢化の急速な進行、基幹産業の低迷など厳しい状況も見られる中山間地域ですが、地域の特性や自
然条件を生かした農林水産物の生産・加工、獣肉の活用、さらには廃校の活用など地域の取組の新し
い"芽"はいっぱい!
これらの取組の後方支援を関係機関と連携を図りながら、まさしく"総力戦"で中山間地域の産業振興を
図っていきます。
そして、中山間地域における取組を幅広くキャッチする中心的役割を担うのが中山間地域産業振興コー
ディネーターですが、これからいよいよ皆様の暮らす地域にもやってきます!
↑ 中山間地域産業振興センター(産業支援財団)は宮崎県工業技術センター内にあります。
コーディネーターの活動の様子は、時々同行させていただきます私Tがあらためてお伝えしますのでお楽
しみに~!
バンザイ ~諸塚村でよかった~
5月は徹底的に諸塚村シリーズ!?
図らずもそんな感じになってしまいましたが、あと1つだけ大型連休中にあったおめでたい出来事でフィニ
ッシュをば。
諸塚在住時代の南川青年団仲間で、当時の部会長の中田君の結婚披露宴(↑)に出席させていただき
ました。 バンザ~イ!!
結婚披露宴という形式を除けば、諸塚村の一大イベントを式場で開催しているような感じでしょうか。
2年間住んでいた私にとりましても会場内は知っている方ばかりで、何だか「同窓会」に出席しているよう
な感覚でもありましたね。
披露宴には美郷町の方々によるエイサー(↑)も披露され、祝宴に花を添えていました。
新婦も日向市東郷町の方で、入郷(いりごう)地域全体の色が出た素晴らしい披露宴でした。
諸塚村の方の結婚式に出席した時にいつも感じることがあるんです。
それは諸塚村ならではの地域のつながり。
新郎の小さい頃のエピソードや普段の姿をほとんどの方が知っていて、 人と人との付き合いの長さと深さ
が感じられます。
来賓の方の祝辞の内容は新郎の誠実な人柄を表していて、夏場の厳しい下刈り作業時、十分な食事を
持ってきていなかった私に自分のおにぎりを分け与えてくれた感動のエピソードを思い出させてくれまし
た。 (あの恩は一生忘れません!)
そして、最後の新郎の挨拶の際に会場内のあちこちから飛び交う激励からは、諸塚村という地域で大事
に育てられてきたことが伝わってきます。
こんなにも地域性を強く感じる披露宴はなかなかありませんので、私からすれば時にうらやましく感じるこ
とがありますけど、宴に出席されていた諸塚村の方々からすればこれもまた特別なものではなく"当たり
前"の形なのかもしれませんね。
諸塚村でよかった。
ちなみに・・・・、この『知っている方ばかり』という披露宴は、アラサーT(もうすぐアラフォー)にとっては時
に想定外の"矢"が飛んでくることも!?
例えば次のような会話の場面で。
Aさん : 「次は、今度こそTくんの番だね~。」
Tの心 : (・・・・グサッ!)
Bさん : 「Tくんの時は自分達も招待してよね~、待っとるぞー。」
Tの心 : (・・・・グサグサッ!!)
Cさん : 「Tくん、当面予定はないとね~!?」
Tの心 : (・・・・・ドスっ。) ※クリティカルヒット!
・・・・・・・・披露宴終了後、式場の出口には無数の"矢"が突き刺さった落ち武者のようなTの姿があった
ことは業界では有名な話(!?)ですが、こんな私Tにまでこのように気をかけてくださる方々がいるのは
本当にありがたいことですよね。
やっぱり諸塚村でよかった。
とにもかくにも、諸塚村に誕生した新しい家族に幸あれーー! バンザ~イ!!!
( ↑ T羨望の眼差しショット~☆ オメデトウ!!)
パウダーティー
5月の連休明けの愉しみといえば、やっぱり『新茶』。
最も緑茶の香りと風味を味わえる時期です。
「ふるさと物産館海幸・山幸」でも毎年恒例の
新茶まつりが催されました。
諸塚産、北浦産の新茶が並んで、
どれにしようかと物色していると・・・
明らかに他の商品と見た目が違うこ洒落たパッケージを発見。
パウダーティと書いてあります。
売り子として来ていた諸塚村役場Oさんによると、
とれたての新茶を挽いて粉茶にしたもので、
去年、急に作ったため、余っていた容器に入れて販売してしまって、それではいけないと今年は、リパッケージングしたのだとか。
思い出すと、確かに去年購入したものとは見た目があまりに違いました。
粉茶は、お茶の良い成分を捨てることなく摂ることができるし、
水出しでもおいしくいただけるので、これからの時期にもってこいです。
お試しください。
【3村合同イベント情報】 ♪ カエルの王子さま ♪
県内の3村(諸塚村・西米良村・椎葉村)から"サ(シャ)ンソンズ"が登場!
今度の週末(19日)、諸塚村・西米良村・椎葉村の3村、そして美郷町の青年団連絡協議会
の合同企画による「MUSIC VIBRATION IN MOROTSUKA」が開催されます。
各村・町を代表する地元の音楽バンドが出演して音楽を通じた交流が図られるほか、3つの村の青年達
が腕を振るう山の恵みのグルメ料理、その名も「ビレッジボーイズグルメフェスタ」も同時開催されるよ
うで す。
開催地の諸塚村からこのイベント情報を入手しましたが、各企画から料理のメニューの名前 までどれもが
私好みのナイスネーミングとなっていましたので、チラシを見ているだけでワクワクしてきました。
個人的には、椎葉村から御出演の「ラッパ隊」や、『山級グルメグランプリ』に登場する諸塚村の
"4 4の2 9 詰め"(猪 肉の肉詰め)などなど、それぞれどんなパフォーマンスを披露するのか非常に 楽しみ
ですね。
3村の青年団が協力して1つのイベントを仕掛ける試み。
人と人とのつながりと、自分達の住む地域への思いの強さがベースにあったからこそ実現することができ
たのではないでしょうか。
イベントの成功を祈っています。
ブログの題材が溜まりすぎている私Tからのレポートはいつになるかわかりませんので、一体どんなイベ
ント内容になるの か知りたい 方はいざ諸塚村へ~!!
ゲロゲロ♪
古事記編さん1300年その3~西都市
コノハナサクヤヒメを祀っている都萬神社に行きました。
西都市が作った「記紀の道」の出発点です。
ここには、巨樹百選に選定されている樹齢1200年の大きな楠が残っており、
それだけ古くからの信仰を得ていたのでしょう。
この隣には、コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミを祀る神社もあります。
記紀の道は、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメにまつわる話を中心に、
~御船束、逢初川、八尋殿跡、無戸室、児湯の池、石貫神社から
西都原古墳群の鬼の窟、男狭穂塚、女狭穂塚~まで約5km程度ありますが、
今日はあまり時間がなかったので、こんどゆっくり歩いて(若しくは走って)みたいですね。
県立西都原考古博物館には、古事記に関する書籍など豊富に置いてあります。
記紀のことばかりでなく、太古ロマンにどっぷり浸れます。
また、帰りがけには、西都市特産品販売所、妻のAコープそばの、
いっちゃが広場に寄って、新鮮なカラーピーマンを買って帰りました。
諸塚にほえろ! PART4
なんじゃこりゃああぁぁぁぁ~~!? (ぜーはー、ぜーはー・・・)
約2年ぶりに参加した諸塚村のエコツアー「諸塚でやま学校しよう!」(4月編)もいよいよ最終プログ
ラム。
自身4度目となる諸塚山(標高1,341.6m)登山では、またしてもあの"三十路泣かせ"の階
段が私Tの前に立ちはだかりました。
この諸塚山は、諸塚村と高千穂町の境界上に位置し、かつて山上にあった諸塚神社には、天孫降臨以
前の天神七代の祖神十三柱も祀ってあったそうですよ(私自身がよく理解しておりませんが・・・・)。
神武天皇御遊行の伝説も残っているようです。
何度も訪れた諸塚山ですが、神話という視点であらためて学び直すとまだまだ奥が深いことに気づかされ
ますので、さすがは「やま学校」でございます。
そんな霊験あらたかな感じのする諸塚山登山ですが、私Tの最大の"敵"は、登山道ではなく自身の体力
の衰え&上下に揺れる体脂肪・・・・。
「4度目の登山ともなると楽勝楽勝~!」と思いきや、2合目付近で早くも息切れし、"心の折れたエンジェ
ル状態"に陥っていました。
しかし、そんな時に「まだまだ若いもんには・・・・!!」と私を奮い立たせてくれた若者が今回のスッタフと
して同行していたんです。その青年とは~、
毎年諸塚村に1年間暮らしながら様々な協力活動を行う「緑のふるさと協力隊」(地球緑化セ
ンター)の大石さん(↑写真中央)
この諸塚村の"内蔵助(くらのすけ)"こと大石さんの若さと礼儀正しさと冷静さに心を撃ち抜かれたも
のの、TVドラマ史を彼にレクチャーしながら登っているうちに4度目の山頂アタックに成功しました!
「緑のふるさと協力隊」と言えば、私が諸塚村にいた頃に担当していた"坊っちゃん"こと夏目さんが思い
出されますが、今年もまた協力隊の"バトンリレー"が受け継がれているのを見て懐かしくもあり嬉しかった
ですね。
あっという間の1年間だと思いますので、大石さんにも他の協力隊OBと同様、諸塚村での生活を思いっ
きり満喫してもらいたいです。 (ガンバレ!くらのすけ!!)
さてさて、山頂に到着した後は、自分達でこしらえた弁当(↓)をみんなで食べて気分は最高!
木で作られた「めんぱ」に詰めたおかず(塩さば・椎茸のきんぴら等)の美味しさの前には、もはや体脂
肪なんてどうでもよくなってしまいました。
ツアー参加者みんなで協力して作った弁当というのが何倍もおいしく感じるスパイスなのでしょうね。
こうして2日間にわたる2年ぶりのエコツアーは全てのカリキュラムを終了。
一路宮崎へ!
・・・・・・帰る予定だったTが、なぜか黒葛原(つづらのはる)公民館の古民家で目撃されたのは、その翌
日のことだったのでした。。
そして、
この山頂アタックから約2週間後の5月13日
↑ 今度は、新キャストも加わって「日之影にほえろ!(仮)」が某所でクランクイン(!?)したわけです
が、そのお話はまた・・・・。
諸塚にほえろ! PART3
今は大型連休、 (※現代語訳:今となっては連休中のことだが)
久々の諸塚村・立岩公民館の春祭りを大満喫した私Tは、次なる舞台へアクセルジャンプ!
向かった先は、同じく立岩公民館内にある懐かしの桂(かつら)地区(↑)でした。
春祭り会場で飲まずに"ほえすぎた"せいか、桂地区に到着した頃にはノドがカラカラ。
その日の宿泊施設「学びの館」に荷物を置くやいなや、諸塚村観光協会ツアー担当者のべ~やん氏に
「早く夕飯にしよ!ノドカワイタ!」と鬼気迫る表現力で猛アピールしました。
されど、すっかり忘れかけていましたが、その日はエコツアー「諸塚でやま学校しよう!」。
そして私は、ツアーメンバーの一人。
エコツアーは、ただ春祭りを鑑賞するだけではなく、実際に諸塚村の自然や文化を体験しながら「学校」
のように色んな知恵を学ぶ場であり、私は"生徒"のようなもの・・・・・・・・。
そう、まだ"授業"は終わっていなかったのです。
同ツアーは参加メンバーによる自炊が基本スタイルなのですが、今回参加した4月の「カリキュラム」の
場合だと夕食の食材は旬の「山菜」。
桂地区を散策しながら参加者みんなで山菜を採りに行きました ↓
「よ~し、山菜をたくさんゲットして今宵は天ぷら祭りだ~!」
・・・・・・と、意気込んで出発したものの、相も変わらず見分けができる山菜はよもぎのみ。。
↑ かるいの中にはよもぎばかり・・・・・・。
他のメンバーにワラビとゼンマイの違いを教えていただきながら、何とかその日の食材を集めることができ
たのでした。
山菜の他にも山椒や"中山間地域のスカイツリー"こと旬なタケノコがどわ~っと生えていて、見ているだ
けで幸せな気分になりました。
中山間地域はまさに食の宝庫ですね。
『ノドが渇いてはジャンプは跳べぬ』
このセリフが出始めると、フィギュアスケート好きの私にとってかなり極限状態のサインですので~・・・・
・・・・配給を待つ少年(?)に扮して絶好のポジションを獲得した私は、山菜の天ぷらを揚げている最中に
つまみ食いをしちゃいました(↑)
飲み物は引率の"先生"(べ~やん氏)からまだ許可が出ないので、余計にノドが渇きましたけどね(泣)
↑ やがてツアー参加者全員による珠玉の「山菜の天ぷら盛り合わせ」が完成!!
え、こんなにたくさん!?と思われるかもしれませんが、これは"みんな"で食べるんですよ~。
その日の夜は、桂地区の皆さんが作って持ち寄ってくださった煮しめ等と一緒に、ツアー参加者との交流
会が開かれたのです(↑)
桂地区5世帯の全ての家族が参加してくださり、地元の方と交流できるこの回はエコツアーの醍醐味。
一見少なく感じる5世帯の桂地区ですが、そこには"当たり前"の近所付き合いと外から来る人へのおも
てなしの心があり、私にとりましては、決して人数では計ることができない『地域力』があることを学ば
せていただく貴重な機会なんです。
久々にこの温かいGP(ごっとりプリン体)シリーズに参戦した私は、ノドと心の渇きを潤して"ジャンプ"の
感覚も取り戻すことができたのでした。
また行きます、桂地区!
〈次回予告〉
いよいよ自分の"敵"との決戦の地へジャンプ (なんじゃそりゃああぁぁぁぁ~~~!?)
第13回石垣の村棚田まつり
かなりの時間が経過してしまいましたが・・4月のイベント情報を。。。
去る4月21日に日之影町で「第13回石垣の村棚田まつり」が開催され、
そのまつりに行って参りました。
このまつりは、町内7つの集落からなる「石垣の村管理組合」が主催するまつりで、
今年で13回目の開催となります。
なお、当日は棚田まつりの開催にさきがけて、
「森林ウォークin 森林セラピー基地」が行われ、約100名の参加があったとの事。
(最高齢は川南町在住の84歳の男性。 恐れ入ります<(_ _)>)
さて、皆さんは この「石垣の村」を ご存知ですか??
お恥ずかしながら、わたしは この集落を はじめて訪ねさせていただきました。
ご存知の方も多いかと思いますが、わたくしと同様に、はじめての方のために
「石垣の村」=「戸川集落」について、ちょっと触れてみたいと思います。。
この戸川集落は「石垣の村」と呼ばれ、
平成11年に「日本の棚田 百選」に認定
されるなど美しい景観 を有しており、
もっとも高い石垣 は11m で、日本一の
高さを誇って いるとの 事です。
← 写真はその石垣です
また、平成18年には町が森林セラピー基地に認定されており、
かつてのトロッコ道を遊歩道に、また戸川集落に渡る吊り橋を整備し、この遊歩道を
歩いて集落に至る森林ウォーク(森林セラピー)と棚田を組み合わせた地域の活性化を
図っています。
← 「石垣茶屋」付近の橋の上から
さらに、平成21年には県から「いきいき集落」に認定されているほか、
昨年度、総務省と全国過疎地域自立促進連盟が主催する過疎地域自立活性化優良事例表彰
において、「全国過疎地域自立促進連盟会長賞」を受賞されました。
( パチパチパチ ← 拍手 (^.^)/~~~ )
※ ちなみに昨年度は、全国から総務大臣賞が3団体、連盟会長賞が3団体の計6団体が
受賞されてます。九州からはこの戸川集落のみが受賞。
(まつりの内容)
当日は町出身の若者からなるバンドの演奏、平清水神楽保存会による神楽公演の他、
石垣茶屋の屋外ではヤマメのつかみどりやカッポ酒のふるまいなどが行われました。
皆さん元気な方ばかりで、「満開の桜」にも ひけをとらない「笑顔」がとても印象に
残った集落でした。
なお、現地では「中山間盛上げ隊」の隊員が支援活動にあたっており、餅つきやヤマメ
のつかみどりなどの手伝い作業を支援されていました。(お疲れ様でした!!)
主催者の裏方として、もくもくと手伝い作業をされる様子はまさに「縁の下の力持ち」
という言葉がピッタリな御活躍ぶりでした。
この盛り上げ隊の活動状況等についてはまた別の機会にでも触れてみたいと思います!
↑ 安全のために、一度に2人まで しか渡れないという橋もあります (スリル有(>_<)) ← 美しい棚田と春の風物詩 「こいのぼり」のコラボ
古事記編さん1300年その2~高千穂町
古事記ゆかりの地を訪れる第2回目は
そのスポットが一番集中している高千穂町。
観光地である高千穂神社と高千穂峡は、
宮崎を6時に出発して9時に着いたにも関わらず、
すでに駐車場は満車で、シャトルバスも満員。
これは周辺地域にしかいけないなと、まず二上神社に行きました。
いざなぎのみこと、いざなみのみことが御祭神。日本書紀に出てくる天孫降臨の山。
二上山の中腹にあります。前日にお祭りがあったとのことでした。
国道からそこに行くまで、いきいき集落「山附地区」を通ります。
その他、サルタヒコとアマノウズメを祀っている荒立神社、
ここはカップルがよく訪れているところらしく、宮崎恋旅の一スポットでもあるようです。
あと、ニニギノミコトが降り立ったという「くしふる神社」、
荒立神社とともに、高千穂町の町中にあります。
ほか、雲海で有名な国見ヶ丘に立ち寄り、がまだせ市場横のレストランで高千穂牛をいただき、
非常に満足したところです。
同所から見る阿蘇外輪山です。天気が良かったので、高千穂町内、祖母山、二上山、
四方が見渡せました。
古事記編さん1300年。
それにちなんだ地域に行くというのは、まずは神社巡りということになります。
お賽銭がたくさん必要ですが、神社でいろんなことを願うのは、
みんな大切な瞬間ですよね。
諸塚にほえろ! PART2
きぇぇぇーーーーーーい、覚悟~!
・・・・・・・と、諸塚神社(諸塚村・立岩公民館)の春祭り会場では、住民同士による恒例の"仇討ち"が
披露されていました(↑)
写真を見て「なんじゃこりゃあぁぁぁぁ~!?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、これは奥州
を舞台にした仇討ち物語を表現する「団七踊り」の一場面。
写真は、鎖がまと長刀を武器に2人の娘が父の敵に斬りかかるシーンでございます。
西臼杵地域と接している諸塚村内でも、黒葛原(つづらのはる)・立岩(たていわ)・飯干(いいぼし)
の3地区にこの「団七踊り」が伝わっていて、毎年春祭りの際に披露されるんです。
この日に照準を合わせ、2年ぶりに団七踊りを間近で見られた私Tのテンションは一気に上昇!
ベストショットを撮るべく、挙動不審もなんのそので境内をちょこちょこと動き回っていました。
え、そもそも踊りを見る機会がないし、踊りを見たところで仇討ちしている場面とはわからない!?
・・・・御安心ください。
そんな団七踊りビギナーにオススメの企画が、諸塚村の「エコツアー諸塚でやま学校しよう!」。
ツアーに参加することによって、村外の方でも立岩公民館の春祭りに参加し、団七踊りを鑑賞することが
できるんです!
しかも、物語の内容を知らない方でも大丈夫。
出発前には、今や諸塚村観光協会のカリスマガイドとなった"べ~やん"氏(↑)による団七物語の紙芝
居(地元小学生制作)がありますので、実際に踊りを見た時にどの場面か想像しやすいですよ。
例えばこんなシーンでも。
【お父さんと娘2人が田んぼで和気あいあいと語らうシーン】
【田の泥をかけてしまったお父さんが斬られるシーン】
実際の踊りを知る私からすれば、紙芝居に描かれた絵は「なんじゃこりゃあぁぁぁ~~!?」を連呼したく
なるような素晴らしい完成度!
紙芝居を制作した当時の地元小学生の描写力には脱帽ですね。
このように、事前に紙芝居で予習していきますので、より「団七踊り」を楽しむことができると思います。
(※ツアーの内容については、事前に諸塚村観光協会にお問い合わせください。)
そして、この諸塚神社(立岩公民館)の春祭りには、他にも度肝を撃ち抜かれる場面があるんです。
それは、「立岩神楽」(写真左)と「団七踊り」(右)の同時進行 ↑
どちらか一方の終了後に始まるのではなく、神楽と団七踊りが同時に行われています。
(↑ 立岩神楽)
どちらも観ようとしてまるで風見鶏のように顔をクルクルさせている方々の姿は、いつ見ても微笑ましくな
りますね・・・・・・あ、自分のことでした(笑)
そしてその頃、
次の目的地に車で向かうため、飲まずに喉の渇きをぐっとこらえる"ジーパン"姿のTが人々の涙を誘って
いたのでした・・・・・・・(え、誘ってない?)
つづく
〈次回予告〉
なんじゃこりゃあぁぁぁぁ~!?
諸塚にほえろ! PART1
時は大型連休、
かつて私Tが暮らした諸塚村に行って久しぶりに村の方々と再会し、心身ともにリフレッシュしてまいりま
した~!!
2月の南川神楽以来の諸塚行きとなりましたが、あの頃は夜に行って夜に帰る生活でしたので、白昼
堂々と諸塚入りしたのは約4か月ぶりでしょうか・・・・(プライベートでの泊付コースはかなり久々)
諸塚村の四季はどのシーズンも好きですが、私Tのお気に入りは"山が笑う"新緑のこの季節。
懐かしの家代(えしろ)地区から、ニコニコ笑っているかのような諸塚村の景色を見ながら歓喜の雄叫び
を上げてきました↑・・・・・(不審者と間違えられないよう一応心の中で。)
雨不足で山全体が枯れたようになっていた昨年のこの時期の光景とは大違いでしたね。
されどでございます・・・・。
わずか4か月ぶりとはいえ、私の知らない諸塚村がちょこちょこ目の前に出現。
歓喜の雄叫びは、やがて「なんじゃこりゃあぁぁぁぁ~~!?」という絶叫に変わっていったのです。
まず最初に心を撃ち抜かれた光景は・・・・・・・・、
諸塚村商店街(↑)
私が村にいた頃から本格的に始まった商店街の嵩上げ工事(水防災事業)がかなり進んでおり、ほと
んどの店舗・家屋が仮移転を完了していたのです。
以前の商店街の姿を知る者としては少し寂しい思いもこみ上げてきましたが、あと数年の間にこの場所に
どのような形で新しい商店街が形成されていくのかが楽しみですね。
そして、家代地区から役場方面に向かう途中に2回目の絶叫が始まります・・・。
↑ 中央公民館(写真中央)よりも大きな建物(一番左)ができていたものですから、
思わず 「なんじゃこりゃあぁぁぁぁ~~!?」
建物の正体は、今年3月に完成したばかりの新しい諸塚診療所でした。
中山間盛り上げ隊中長期派遣のえりんこさんブログによりその情報は得ていたものの、いざ近くで見ると
かなり大きな建物で、そして、私の知っている中央公民館駐車場が様変わりしていたんです。
診療所の材には諸塚村産の木材がふんだんに使われていました。
とにもかくにも、こんな感じで叫んでばかりいた久々の諸塚村探訪編。
あまりにも叫びたくなる事柄が多すぎましたので~・・・・・・・・・・・・・・・・・・次回へつづく。
〈次回予告〉
なんじゃこりゃあぁぁぁぁ~~!?
男山
綾町に行って来ました。
綾町では桃の節句の 『ひな山まつり』 に続いて
端午の節句を前に 『男山まつり』 が開かれています。
メインの「武者行列パレード」などのイベントは終わっていましたが、
商店の内外に、五月人形を飾り付けた「男山 」があり、多くの観光客や親子連れが
珍しそうに見入っていました。
もちろん、綾といえばこの新緑の季節、 照葉樹林の美しさも満喫できます。
あきらめましたが、「手づくり本物センター」で、
この時期の野菜を一杯買い込み満足して帰りました。
今日は「こどもの日」。ご家族で綾町を訪れてみてはいかが。
古事記編さん1300年その1~高原町~
今年は古事記編さん1300年ということで、
県内各地でいろんなイベントや取組が開催されることになっています。
とはいっても、そもそもどういう神話が宮崎県にあるのかさえ、
正確にわからない人も多いと思います。
私もその1人で、とりあえず「知ろう」とするために、動き出そうと思いました。
まず、HP・・・古事記編さん・・・とか検索してヒットするのは、「ひむか神話街道」。
そこにある100の伝承地で古事記などに関するものが多い地域を二つピックアップ。
まずは「高原町」。
神武天皇カムヤマトイワレヒコノミコトの生誕地である狭野神社
(神武天皇の幼名は狭野尊)
そこの狭野杉 国の天然記念物です。
皇子原神社 産場石(うべし) 神武天皇誕生の際に産湯をつかった場所です。
霧島東神社 ニニギノミコトが地上に降りた際に初めて祖先の神々を祀った場所です。
とても美しい神社です。
あとイザナギノミコトを主祭神とする、
お隣都城市高崎町の東(つま)霧島神社にも行きました。
ほかに神武天皇がお祓いをする際に水を汲んだ「祓川」
皇居のあった「宮の宇都」、神武天皇が生まれた際に母タマヨリヒメが洗い清めた「血捨之木」など、
ひたすら地図をみながら神武天皇ゆかりの地をめぐったのでした。
昼食も、高原町内の古民家風食事処でくつろいで、物産販売所にも寄って、
9時宮崎発で18時には帰りました。日帰りでも十分回れます。
初詣でもこんなに神社を回ったことはありません。
神社ファンになりそうです。
一言「おもしろい!」
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