2011年12月の記事
ブログは口ほどにものを言う
先週行った今年最後となる(であろう)出張先。
それは、私Tが今年3月まで暮らしていたお馴染みの諸塚村でした~。
商店街のまちづくりに向けた会議等に出席するため、再び諸塚村役場の中に足を踏み入れました。
今回は正面玄関からではなく、かつて頻繁に出入りしていた2階入口から違和感なく進入・・・・・。
役場庁舎の中に入ると、なんとも懐かしい「ソ・ド・ミ・ソ」の音色が耳に飛び込んできます。
年明けの「消防出初式」に向けたラッパ隊の練習中だったようです。
かつて私を哀愁たっぷりにしてくれたそのいぶし銀の音色を聴きながら、
「考えてもみれば自分が諸塚村で仕事していたのは同じ今年の出来事なんだな~」、「自分は今度
の消防出初式には出ないんだな~」・・と、駐在時代がずいぶんと昔の事のように感じ始めました。
事務局に移籍(異動)して約9か月。
「諸塚村」という"局のアナウンサー"から、フリーのアナウンサーに転向したような気持ちで臨んでい
るつもり(勘違いお許しを!)でしたが、振り返ってみると諸塚村ブログの「延長」とも受け取られかね
ない頻度でこの事務局ブログにも書いてしまいましたよね。。
在任期間中に伝えきれなかった事や、もう一度お伝えしたい事が多すぎて・・・・確信犯です(笑)
出張の際、諸塚村の元同僚の方々をはじめいろんな方にこの傾向を見抜かれていることを聞きまし
たが、いつもこの「中山間ネット」をご覧いただいていると知り嬉しくもありました。
題材はどうしても直に体験した諸塚村の出来事が中心になりがちですが、そこには県内の中山間地
域に共通する「何か」があるような気がするんですよね。
その「何か」を一人一人に直接会って伝えることはできませんし、すこぶる口下手な私ですので、これ
からも見たこと・聞いたこと・感じたことを徒然なるままに書き連ねていきたいと思っています。
まさに 『ブログは口ほどにものを言う』・・・・そんな心の動きが丸見えなブログを目指して。
(↑ 国道327号沿いから遠ざかる諸塚村方面を望む~2011夏~)
さてさて、少し物理的な距離は開いてしまい、消防出初式をはじめ共有できない事も少しずつ出てき
ましたが、これからも古巣・諸塚村をはじめ中山間地域の"元気"を心の中で応援していきます。
そして、いよいよ2012年!
来年は走行距離10万キロを超えた愛車の集大成とするべく、県内の中山間地域巡りに拍車をかけ
ていこうじゃないの!・・・と、"恋しいAge35"が目前のTは決意するのでした~。
おさらいです。
えびの市大河平(おこびら)地区で、
地域の方々にお集まりいただいて、 対策に係る研修会と
飼料作物の採草地と植林・竹林地での現地指導が行われました。
幸い覚悟していたほど寒くもなく、早朝からたくさんの方が参加され、熱心に先生の話に聞き入っていました。
今回は、本県鳥獣被害対策特命チーム長である牧元副知事が、初めて現地指導の様子を視察されました。
中山間地域を中心に中々簡単には無くならないシカ、イノシシ、サル等による農林作物への被害。
来年も引き続き地域ぐるみの対策を県内に広めていかなくてはなりません。
おさらいです。
忘れちゃいけない! 鳥獣被害対策に取り組む順序
1番目 みんなで勉強
2番目 守れる畑、守れる集落づくり
3番目 個人や集落での囲いや追い払い
4番目 コストや特殊技術を要する対策
いきいき集落認定100件目~島野浦地区
平成21年の2月に県内15市町村の55集落を認定してから、
2年と10カ月で100件目の「いきいき集落」認定となりました。
今では、中山間地域集落の活性化のシンボルとして、県内さまざまな場所で、
いきいき集落ののぼり旗を見ることができます。
島野浦地区は、海の資源を活かした郷土料理体験、魚釣り体験、
遠見場山(とんばやま)のトレッキングなどによる観光客誘致等を通して、
地域の活性化を図ることにしています。
初めて訪れる方にとっては、リアス式海岸の港を瀬に、
青い海原に高速艇で走るだけでも、非日常の空間へと向かっている気分になります。
食べ物でいくと、刺身のほか、あげみ、鯛茶漬け、魚の身や玉ねぎ、
ショウガなどをすりつぶした「たたっこ」は、生でも焼いてもOK。
魚好きにはたまらない料理ばかりです。
今回は、河野知事と首藤延岡市長が出席し、
多くの島民の方々が見守るなか、盛大に交付式が行われました。
まだまだ元気な集落づくりの輪は広がっていきます。
だいこんの館
ついに夢のマイホーム建築に着手~!?
・・・・・・もうすぐ年の瀬というのに、最後までわざとらしいイントロダクションをお許しください。。
当然ながら、マイホーム建築以前になすべきこと盛りだくさんのTでございます。
既にバレバレだとは思いますが、これは家ではなく櫓。
「屋根」にあたる部分に掛けられているのは大根です。
2011年最後になりますTの"ぶらりブログ"は宮崎市田野町。
この季節の風物詩として有名な「大根やぐら」を見物してまいりました~。
宮崎県は全国有数の大根生産地ですが、その中でも宮崎市田野町は漬物用等に使われる干し大
根の生産量が日本一といわれるほどの一大産地なのだそうです。
↑ 櫓に干されていたのは「白首大根」
主に漬物等の加工用として利用される品種です。
愛車を田野方面に走らせていると、至る所で大根櫓が目に飛び込んできて、大根の収穫と干す作業
を分担しながら同時進行させている農家の皆さんの姿には独特の活気を感じました。
本格的な冬の季節風(通称:「霧島おろし」)が吹くこの時期、
豊富な日照時間との絶妙なコンビネーションにより質の高い干し大根に仕上がります。
ただ寒い中に干しておけばいいというわけではなく、霜が降りるような寒い夜には上からビニールシ
ートを被せて三角形の櫓の中でストーブを焚くなど、品質を保持するための温度管理にはかなり気を
配っているのだそうですよ。
(↑ よく見ると、櫓の内部にたくさんのストーブが配置されています。)
大根を干す作業は県内のローカルニュースでもよくこの時期に取り上げられていますが、実際に間近
で見るのは初めてで、ちょうど大根の収穫作業をされていた御夫婦からいろんな話を聞かせていただ
き、ちょっとした社会見学のような感じになりましたね。
↑ 二人で作業している後姿になんだか懐かしさを覚え・・・・挙動不審な動きでついつい接近&談笑
どこか遠くから来た都会の人間だと思われていたようです。。
干し大根という農業生産の場ではありますけど、 多くの大根櫓と広大な大根畑の光景は一つの観
光名所でもあるかのように思えてしばし見入っていました。
食料として提供するとともに、櫓や作業風景までもが冬の風物詩にもなっている干し大根の生産地・
田野。
もし『中山間地域遺産』なるものがあるとすれば、また一つ登録したい地域を見つけたような気がしま
した。
古巣・諸塚村の観光情報発信拠点「しいたけの館」と同じように、この大根櫓も"だいこんの館"として
中山間地域の魅力を発信し続けてほしいですね。
いきいき集落に認定~日南市北郷町「大戸野集落」・三股町「長田地区」
田野経由で宮崎市から日南市方面へ行く際の、日南高岡線沿い宮崎・日南市境を越えたところに大戸野即売所があります。
この即売所横にある公民館で、いきいき集落認定証交付式が行われました。
ここは、この即売所の運営や田植え交流など、これまでも活発な活動を行っていたようですが、
「いきいき集落」認定を機に、新たな展望台の設置や商品開発を行いたいとのことです。
さて、なんといってもここのおすすめといえば、「草団子」です。
これだけ買いに来る人もいるのではないかというくらい、おいしい団子です。
また、12月17日(土)の午後6時から、旧黒荷田小体育館で「ふれあい星祭り」があり、
大戸野、黒荷田、田代、山仮屋の4地区の住民の方々による
水戸黄門、ものまね、演奏などなど楽しい夜になりそうです。
出店の地鶏、焼きそば、おでんなどもあるようなので、お祭り好きの方・・・いかがですか?
また、先日紹介した三股町長田地区でも認定証交付式が行われました。
同地区には観光地である椎八重公園や長田峡があり、長田米、ヤマメ甘露煮、わさびなどの特産品は、三股町駅そばの「よかもんや」で買うことができます。
この2つの地区は、30分ほどしか離れていないので、周遊ドライブコースとしてもおすすめです。
神楽の特等席にて
皆既月食が観測された12月10日の夜。
椎葉駐在員菊野さんの神楽デビューを応援するため、月食と競争するかのように奥日向路(国道
327号)を西へ西へと向かいました。
菊野さんが舞う「上椎葉神楽」のデビュー会場は、椎葉村を代表する文化財・鶴富屋敷!
毎年奉納されている上椎葉神楽ですが、この鶴富屋敷で神楽が奉納されるのは3年に1回なのだ
そうです。
(↑ 夜の鶴富屋敷・・・・・写真ではわかりづらいですね。。)
これまで鶴富屋敷の中に行ったことのなかった私は、よもやこのような形で屋敷の中に入ることがで
きるとは・・・と感慨深げに上椎葉神楽を鑑賞しておりました。
初めて鑑賞した上椎葉神楽、駐在員K君(これよりイニシャル)の鮮烈デビュー・・・・・・などなど
一夜で感じた事はたくさんあるのですが、一緒に応援に駆けつけたチーム事務局の皆さんと、何より
も練習からずっと関わってきたK君本人から上椎葉神楽の魅力をお伝えできると思いますので今回
は私目線で書かせていただきますね。
ちなみに、敢えて一言書かせていただきますと、K君の舞は新人とは思えない堂々としたナイスな舞
で、今やすっかりホームとなった椎葉村でいきいきしている様子が伝わってきました~(保護者目
線!?)
さて、そんな私が特筆したいのは座った場所の絶妙な位置取り。
私の隣に座っていた地元のおばあちゃん達が、舞台で舞われている神楽に合わせて「神楽せり
歌」を歌っていらっしゃったのです。
この「神楽せり歌」は、2月に奉納された諸塚村の立岩(たていわ)神楽の時にも地元のおばあち
ゃんがマイクを片手に夜中までずっと歌っていたのが印象に残っています。
特に歌う役が誰かと決まっているわけではないけれども、誰でも歌い方を知っているわけではないよ
うで、地域のおばあちゃん達は伝統のせり歌を伝えていく貴重な存在だと思いました。
そして、上椎葉地区のおばあちゃん達もどこか懐かしくてかわいらしい声で、自分の好きなタイミング
で神楽の雰囲気を楽しみながら歌っているかのようでした。
年に一度の神楽を本当に楽しみにしているのだなぁと横で感じながら、隣でせり歌を直に聴けるとい
うこれまでとは一味違った神楽の鑑賞に特等席の気分を味わわせていただきました。
やがて、そのおばあちゃんが私に話しかけてくれます。
おばあちゃん:「今日はどこから来なったと?(来たの)」
T :「宮崎市からです。」
おばあちゃん:「じゃあ、泊まっていくんじゃね?」
T :「神楽を見終わったら車を運転して宮崎まで帰るんですよ~。」
おばあちゃん:「あら~、そりゃお酒を飲めんで(飲めなくて)残念やね~。」
T :「はい~・・・・・。(そうなんです!ノドが渇いて泣きそうです!←※心の声)」
おばあちゃん:「じゃあ、神楽を楽しんでいきないね~。」
たわいもない会話ですけれども、久々に地域の方とほのぼのとした気持ちで話せたような気がして、
飲んでもないのに何だかポカポカしました。
さて、
K君の神楽デビューを見届けて満足し、身も心もほんのり温めた後、月食が終わった満月の明かりに
照らされながらひたすら宮崎市を目指すこと約3時間・・・・・・・・・朝午前5時。。
西の空に輝くきれいな満月のモーニングムーンに感動する一方で、数時間後の「青島太平洋マラソ
ン」の応援という現実を受け止めて浅い眠りに突入するTだったのでした。
秋のおわりに・・・。
久しぶりに晩秋の西米良村を訪問しました。
もう紅葉は終わりかなとも思いましたが、
所々で真っ赤なもみじが目を楽しませてくれました。
小川地区のおがわ作小屋村では、囲炉裏に火が入り、冬の香りを漂わせていて、久しぶりの四季御膳にも冬の食材がふんだんに使われていました。
囲炉裏の煙で梁や柱が趣のあるいい色に
変わってきていました。
村所地区の西米良温泉「ゆたーと」では、
こちらも冬を感じさせる「ほおずきクリスマスツリー」が
出迎えてくれました。
現在、西米良村では、「カリコボーズの冬のまつり」を
開催中です。ぜひお出かけください。
もうすぐいきいき集落へ・・三股町長田地区
12月12日にいきいき集落に名乗りを上げる予定の三股町長田地区。
椎八重公園やしゃくなげの森、あと特用林産物としてワサビの栽培をしていることで、
知ってはいたのですが、いきいき集落に応募されているというので行ってみました。
近くまで来て、長田小学校近くの県道沿い個人の家の軒先には、
つるし柿の看板が・・・
実は最近、ビタミンCが多いなど、健康にいいということで柿に注目しているので、
降りて寄ってみると、なんと100円、しいたけも100円、自然薯が200円。
ただ、無人販売所なのでコインがいるのですが、200円しかなく、
自然薯は買えませんでした。
そのあと、長田峡でつるし柿とかその前に北郷町大戸野で買った草だんごを食べました。
ほんと自然のおいしさがあり、またその場所で食べるのがいいですね。
そのあと、三股町図書館や三股町駅となりの物産品販売所よかもんやにも寄ってきました。
「みまたん」もんは、とってもよかもんです。(下、紅葉がきれいな長田峡)
その時歴史を学んだ
ヨイショ、 ヨイショ、 ヨイショ、 やー!!
・・・・・・・・・三十路の体にムチを打ちながら"城攻め"再現のアングルでございます。
実は、「大奥」だけではなく大の城好きの私。
まだ未成年の頃、いろんな城の天守閣まで駆け上がっては城主の気分になりきってよく自己陶酔し
ていたものです・・・・・・・(繰り返しますが、まだ「未成年」の頃ですよ。)
そんな情熱を取り戻すべく今回訪れたのは木城町にある高城(たかじょう)城址公園(写真)
高1の社会科の「地域学習」で訪れて以来、十数年ぶりに登城してまいりました~。
(ううっ、もうずいぶんと昔話になったなぁ・・・・・・。)
この高城は、今は城自体は残っていませんが、木城町の市街地をはじめ遠くは高鍋町や太平洋まで
見渡せる小高い丘にあり、これまた私が好む"たそがれスポット"としても急上昇ポイントです。
(↑ 城址公園)
私の記憶が正しければ、木城町では毎年1月1日に成人式が執り行われ、この高城で「初日の
出」を迎えながらみんなで門出を祝っていたと思います(同級生がいますので。)
さてさて、ここからが自称"一日城主"の歴史ブログですよ~。
この高城のある木城町周辺地域は戦国時代の交通の要所で、
「美濃を制する者は天下を制す」と云われていた当時、ここ宮崎でも「高城を制する者は日向国を制
す」と言っても過言ではない!?ほどに島津氏が戦力を投入した重要な地域だったそうです。
(↑ 高城を高鍋町方面から望む)
実際に、薩摩〈鹿児島〉の島津氏と豊後〈大分〉の大友氏との戦い(1578年)、さらには豊臣秀吉の
九州征伐(VS島津)の際(1587年)の2度に渡り大合戦の舞台となっていますが、自然の地形を利
用した竪堀(←テストにも出ました!)等で敵を寄せつけず、一度も落城したことがない難攻不落の
城として伝えられています。
地域学習でこの歴史を学んだ時、当時教室内で繰り広げられていた『都農町VS木城町ふるさと自慢
対決』において木城町勢に心理的リードを許したことはこの歳になっても覚えています。
(↑ 高城から眺めた落日)
それにしましても、一部はネットでおさらいしたものの、当時の地域学習の記憶が今でも少しは残っ
ている事を考えますと、若いうちに自分達が住む地域の歴史や文化を学んだ事はずっと後まで蓄積
されるものだなぁということを感じた休日でした。 (先生、あの時の地域学習が生きています!)
そして現代の木城町もまた、宮崎市から美郷町・諸塚村・椎葉村方面へ向かう際の道路をはじめ
「中山間地域の要所」として、これからますます発展していくことを願うTだったのでした。
城攻めの再現で無駄に体を酷使した後は~、
木城温泉館「湯らら」(↑写真奥)でぽっかぽか~・・・・・・・・・・したかったなぁ。
※こちらもおでかけスタンプラリースポットです!