西米良ブログ

西米良回顧録④

西米良生活での最大の楽しみ。

それは、 「70代~90代のおじいちゃん・おばあちゃんの話」 でした。

特に、若い頃の話は、強烈なインパクトがあります。

聞くのは、だいたい 「食事中」 です。

 

◆Yさん(80代女性)

「あの頃は、ひとクラス40人くらいのうち5人くらいは朝鮮から来た人達がいてね、一緒に遊んでたよ。お正月には、あの民族服を着ててね。それがきれいでねえ。私も着てみたいなあといつも思ってた。今でも時々思い出して、元気にしてるかな、会いたいなあって思うよ。」

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(左 : ピーナッツ豆腐    右 : おくてなの白和え)

 

 

◆Tさん(80代女性)

終戦直前のころ 「米良の上にも飛行機が飛んできよったよ。運転手の顔が見える時もあった。一度はね、村所の上空を何回も何回も旋回する零戦があってね。不思議やねえっていいながら見送ったよ。」

 

 

◆Nさん(90代女性)

「同級生の男の子のほとんどは戦争に行って帰ってこんかった。皆、一番きれいな頃やった。出征の日は皆並んで歌を歌ってね。親はどんな気持ちやったやろうかて思うよ。」

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(猪肉のうま煮)

 

 

 

 

◆Mさん(90代男性)

「学校で、『へ』の歌を習った。 『へにはブースーピーの三種あり♪』 てね。これ覚えるまで帰ったらいかんて言われて一生懸命覚えて、家で大きな声で歌いよったら親父に怒られて、晩飯抜きになった。」

 

 

◆Sさん(80代女性)

「山菜料理っていうけど、私達は毎日食べてたものですからね。親が摘むのを見て覚えて。それしか食べるものがなかったから。一日やってることと言ったら、食べるためのことばかりですよ。」

 

「終戦後は本当に食べるものがなかった。米良なら何とかなるやろうと街から親戚が来てしばらく一緒に住んでたことがあるけど、だいたい一合の米に、家の周りの雑草と水をたくさん入れて、それを12人で食べてましたね。米の粒なんか見えませんよ。それが朝ごはん。それで一日過ごしました。」

 

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(くさぎな飯による『へそめし』・・・米良地方ではハレの日に「へそめし」を食べる習慣があった。穴のあいた竹筒にご飯を詰め込むと穴からご飯が出てへそのように見えるため、「へそめし」と呼ばれるようになった。)

 

 

 

◆Yさん(70代女性)

「結婚式があると嬉しかった。お嫁さんは婿さんの家まで歩いていくから、見るのが楽しみやった。Tちゃんの時は、私見ちょったよ。きれいやった。婿さんが嬉しそうやった。」

 

 

◆Mさん(80代男性)

震災について 「命さえあれば何とかなる。俺ら何もなかったから。命さえ残しておいてくれれば必ず復興できる。それが人間やから。日本人やから。」

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(煮干し・・・米良地方に古くから伝わるおやつ。日干しした「栗・さつまいも・小豆」と餅米を煮たもの。

日干ししたものばかりでできているので、「にぼし」と呼ばれるようになった。)

 

 

 

おばあちゃん達は、話がのってくると 「こ・い・ば・な」 も、昨日のことのように語りはじめます。

 

 

大正-昭和-平成    戦前-戦中-戦後-高度成長-過疎化

 

すべてを見てきた彼女達が必ず言う言葉は、

「みんなで食べるとおいしいね」

です。

 

日時:2011年3月24日 08:00  投稿者:西米良駐在員

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