西米良ブログ

2011年3月の記事

西米良回顧録(最終回)

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 西米良最終日、私のブログも最終回です。

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西米良生活も1年を終え、折り返し地点にいたころです。

とある会で、ある80代の女性とお話する機会がありました。

彼女と直接お会いするのは初めてでしたが、 「ひょうきんで元気な方」と評判だったので、私は知っていました。

 

彼女に、簡単な自己紹介をし雑談を始めました。

 

話題は、子どもの頃、嫁に行った頃の話になり・・・・

 

兄妹が多く、生活が苦しかったため、彼女は兄妹の中で一人、作小屋で生活する祖父母のところで育てられた日々。

大事にしてくれた祖父母への感謝。今でもこみあげるあの頃の寂しさ。母親の温もりの大事さ。

 

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嫁に行き、陽のあるうちはひたすら農作業をしたこと。

朝3時に起き、釜戸に火を起こし、朝と昼用のおにぎりを作るのが日課だったこと。

夏、朝霧のなかで食べるおにぎりは格別に美味しかったこと。

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 話題は現在になり・・・様々な事情により、一人暮らしをしていること。

寂しいなんて言葉は、決して口にしてはならない。子どもが心配するから、周りが心配するから。決して口にしてはならない。」

「昔から、あの人は泣かない人だと言われてきた。でも泣かないわけではない。人の前で泣かないだけ。泣きたい時は、山に向かって泣いた。人の前では、いつも笑っていなさい。」

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これが、彼女の哲学なんだと思います。

「美しくも厳しい自然」と「菊池氏の歴史」に育まれた哲学なんだと思います。

 

 

西米良のおばちゃん達が、なぜ、いつも笑顔でいられるのか

その答えの半分は、ここにあると私は思います。

 

 

時は流れ、彼女が育ったころと今の西米良の生活は大きく変化しました。

道路はよくなり、情報は入り、機械化が進みました。

でも、西米良の風土が育んだ心だけは、どんなことがあっても失ってほしくないのです。 

 

 

西米良が誇りと安らぎにあふれた桃源郷となり輝く日を楽しみにしています。

 

 

私も頑張ります。

ここでの出会いを一つの糧にし、自分の未来を切り拓こうと思います。

 

最後に、私を温かく受け入れてくださった役場、村、地区のみなさん、JA女性部、みどりグループ、語り部の会、作小屋村、お向いの活子さん、企画交流グループ・・・調整役の中山間・地域政策課、このブログを読んでくださった皆さん、そして、私の2年間を支えてくれた母に心から感謝します。

 

ありがとうございました。

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PS 明日から、新しい派遣職員が、新しい土地で、新しい生活をスタートさせます。

   これまで以上の応援とご指導をよろしくお願いします。

日時:2011年3月31日 08:00  投稿者:西米良駐在員

西米良回顧録④

西米良生活での最大の楽しみ。

それは、 「70代~90代のおじいちゃん・おばあちゃんの話」 でした。

特に、若い頃の話は、強烈なインパクトがあります。

聞くのは、だいたい 「食事中」 です。

 

◆Yさん(80代女性)

「あの頃は、ひとクラス40人くらいのうち5人くらいは朝鮮から来た人達がいてね、一緒に遊んでたよ。お正月には、あの民族服を着ててね。それがきれいでねえ。私も着てみたいなあといつも思ってた。今でも時々思い出して、元気にしてるかな、会いたいなあって思うよ。」

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(左 : ピーナッツ豆腐    右 : おくてなの白和え)

 

 

◆Tさん(80代女性)

終戦直前のころ 「米良の上にも飛行機が飛んできよったよ。運転手の顔が見える時もあった。一度はね、村所の上空を何回も何回も旋回する零戦があってね。不思議やねえっていいながら見送ったよ。」

 

 

◆Nさん(90代女性)

「同級生の男の子のほとんどは戦争に行って帰ってこんかった。皆、一番きれいな頃やった。出征の日は皆並んで歌を歌ってね。親はどんな気持ちやったやろうかて思うよ。」

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(猪肉のうま煮)

 

 

 

 

◆Mさん(90代男性)

「学校で、『へ』の歌を習った。 『へにはブースーピーの三種あり♪』 てね。これ覚えるまで帰ったらいかんて言われて一生懸命覚えて、家で大きな声で歌いよったら親父に怒られて、晩飯抜きになった。」

 

 

◆Sさん(80代女性)

「山菜料理っていうけど、私達は毎日食べてたものですからね。親が摘むのを見て覚えて。それしか食べるものがなかったから。一日やってることと言ったら、食べるためのことばかりですよ。」

 

「終戦後は本当に食べるものがなかった。米良なら何とかなるやろうと街から親戚が来てしばらく一緒に住んでたことがあるけど、だいたい一合の米に、家の周りの雑草と水をたくさん入れて、それを12人で食べてましたね。米の粒なんか見えませんよ。それが朝ごはん。それで一日過ごしました。」

 

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(くさぎな飯による『へそめし』・・・米良地方ではハレの日に「へそめし」を食べる習慣があった。穴のあいた竹筒にご飯を詰め込むと穴からご飯が出てへそのように見えるため、「へそめし」と呼ばれるようになった。)

 

 

 

◆Yさん(70代女性)

「結婚式があると嬉しかった。お嫁さんは婿さんの家まで歩いていくから、見るのが楽しみやった。Tちゃんの時は、私見ちょったよ。きれいやった。婿さんが嬉しそうやった。」

 

 

◆Mさん(80代男性)

震災について 「命さえあれば何とかなる。俺ら何もなかったから。命さえ残しておいてくれれば必ず復興できる。それが人間やから。日本人やから。」

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(煮干し・・・米良地方に古くから伝わるおやつ。日干しした「栗・さつまいも・小豆」と餅米を煮たもの。

日干ししたものばかりでできているので、「にぼし」と呼ばれるようになった。)

 

 

 

おばあちゃん達は、話がのってくると 「こ・い・ば・な」 も、昨日のことのように語りはじめます。

 

 

大正-昭和-平成    戦前-戦中-戦後-高度成長-過疎化

 

すべてを見てきた彼女達が必ず言う言葉は、

「みんなで食べるとおいしいね」

です。

 

日時:2011年3月24日 08:00  投稿者:西米良駐在員

西米良回顧録③

東北地方太平洋沖地震の映像は、ショッキングですね。

時間がどんどん過ぎていきますが、多くの方の生存を祈るばかりです。

それと同時に、改めて「一期一会」「日々を大事に」「日々やり残しなく」今を精一杯生きないといけないなあと思いました。

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西米良に来てまず最初に感じたのは、 「視線」

人口1200人、中山間地・・・・・・村民みんな顔見知り、街のように人の往来がある訳ではないので、新参者はとにかく目立ちます。

 

 

商店街を歩く時、「こんにちわ」とあいさつすると、

「どこの嫁さんじゃろか」「今度来た先生じゃろか」「どこに住んじょらっとじゃろうか」と聞こえてくる声。

 

 

私としては、なんら特別なことをしているわけでなく、それまで住んでいた宮崎市でやっていたのと同じようにしているのですが、15分も外に出ていれば、翌日、

「どこいっちょったと?」 「何しにいっちょったと?」 「誰といっちょったと?」 「黄色の自転車に乗ってたらしいね」と立て続けに、3~4人から質問と目撃情報あり。

(誰ともすれ違った覚えがないのに・・・)

 

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そんな毎日ですから、村内で気が休まる場所がありません

たまに会う友人や村外の方から

「西米良は自然がいっぱいで、のんびりできるでしょう。」

と言われますが、のんびりどころか、常に 『誰に見られているかわからない』 という緊張感で張り詰め、その辛さといったら言い表しようがありません。

 

 

赴任1年目の12月上旬のことです。

出勤時、役場前で、軽トラに乗った知らない男性に声をかけられました。

「明子さんは、今度の駅伝走りゃっとでしょう。頑張ってください。応援しちょりますから。」

 

『何で、私の名前知ってるんだろう? 何で、私が駅伝出るって知ってるんだろう?』

 

疑問です。

駅伝出場については、この数日前からオフトークで、「児湯郡町村対抗駅伝大会の選手」を放送していたからでした。

でも、会ったことがないのに、「放送された選手の名前」と「私」がどうして一致するのか?

 

 

私なりに考えました。

『おそらく、この方は私の赴任後8ヶ月間、私がランニングをする姿を見ており、私の存在を知っていたのでしょう。

でも、話す機会がなかった。それがオフトークを聞き、話すきっかけができたのかなあ。』 と・・・

 

胸のつっかえが一つ取れた気がしました。

 

もちろん、いろんな人がいますので、村民のすべてが他所から来ている人間を好意的に見ているわけではないと思いますが、村民の「視線」のほとんどは、 「好奇心」「話すきっかけ探し」 であることは間違いないと思います。

 

「仲良くなりたい」 でも 「どうしたら仲良くなれるかわからない」

 

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もしあなたが西米良に来て「視線」を感じたら、

それは、シャイな西米良村民が贈る精一杯の

              「仲良くなりたいサイン」です!

 

 

日時:2011年3月17日 08:00  投稿者:西米良駐在員

西米良回顧録②

「世代間交流事業」 は、社会福祉協議会が主催しているものであることがわかり、早速どんな事業なのか話を聞き、見学をさせていただきました。

 

 

 

sedai.JPG村内唯一の保育園である「ふたば保育園」年長組さんと、村内の高齢者が一緒にお絵かき・折り紙・ゲームをした後、昼食をとり、交流を深めるものでした。

 

この事業により、園児にとっては、小学校入学前の社会勉強、高齢者にとっては、娯楽提供とひきこもり防止を図っているとのことでした。

 

そして、昼食は、JA女性部の方が食育を視野に入れて準備されていました。

 

 

 

 

 

 

 

さらに、ここで初めて存在を知ったJA女性部は、高齢者へを定期的にお弁当の配布を行っていると教えてもらったのです。

 

それ以後、都合のつく時に参加させてもらうようになったのが、

JA女性部の 『ふれあい弁当』 作りです。

 

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「人のために時間を割く」

簡単にできることではありません。

 

皆で分担して作って、配る。

これを、18年間です。

 

 

 

 

 

1軒1軒、高齢者世帯を回り、お弁当を手渡す。

西米良の生活、優しさ、たくましさ、寂しさ・・・・・すみずみを知っているのは、彼女達だと思います。

彼女達は、「西米良はこういうところだ」とか、「どうしなさい」とかいうことは一切言いません。

ただただ、私を料理分担の一員に入れ、お弁当配布に同行させてくれました。

 

 

「この原動力は何なのか。」

残念ながら、私は完全には理解できていません。

でも、聞いて理解するものではないと思い、一度も尋ねませんでした。

これが100%理解できた時、本当の「米良人」になるのでしょうね。

 

 

 

日時:2011年3月10日 08:00  投稿者:西米良駐在員

西米良回顧録①

 今日は、『 ひなまつり 』 です。

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そして、私の西米良生活も、残り4週間となりました。

今日から、数回に分けて、2年間を振り返りたいと思います。

 

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赴任直後は、毎日のように村の人を紹介されます。

そして、総会シーズンとも重なり毎日のように飲み会があります。

 

『 1 対 1200 』

 

紹介される相手のほとんどの方は、私のことを知っていますが、私の方は一気に押し寄せる「初めて会う人」

さらに、同じ姓の方ばかり(当ブログ「黒木さんがいっぱい」を参照)

 

しかし、3~4回飲み会に参加するうちに、 「んんん???」 と感じ始めました。

① 紹介されるのは、館長、区長、会長など 「長」のつく人ばかり

② しかも、50代から70代の男性ばかり

③ 会の名前が変わっても、参加しているのはほとんど同じ人

④ 同じ人が「○○の会会長」「○○の会副会長」「館長」などのように、一人でいくつもの肩書きを持っている

 

 

「中山間地域対策のため」という大それた目的のために派遣されたとはいえ、過疎地に住んだことも、過疎地と係わる仕事をしたこともなく、全く無知識・無経験

 

「前に進まなければ・・」と思っているのに、何だか小さなカゴの中で、実験のためにひたすら走らされているラットのような気分の毎日

 

 

◆1200人のうち半分は女性であるはず

◆高齢化率40%以上

◆寝たきりの方もいるはず

◆食料品の調達に、最低週1回は村外へ出かかる。車を持たない高齢者はどうしているのか

◆何を食べているのか

◆移動手段は

 

 

 

毎日、村内活動の中心となって活動されている方々と会っているのに、コンパクトに集約された役場にいるのに、 私が知りたいと思う 「普通の村民」の生活 が伝わってこないのです。

 

 

そんな時、ボーっと眺めていた行事予定表の中に、

「世代間交流事業」

というのを見つけたのです。

 1年目、6月上旬のことでした。

日時:2011年3月 3日 08:00  投稿者:西米良駐在員

一期一会

御無沙汰しておりました。先週は、ほとんど出張しており不在でした。

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西米良村が、版籍奉還までの約400年間、「米良菊池氏」の統治下にあったことは、前に当ブログで触れましたが、この「菊池氏」つながりで、

『熊本県菊池市』 『岩手県遠野市』 『宮崎県西米良村』

の3市村で交流を行っています。

 

互いに訪問し、同じ「菊池の歴史」を学んだり、遠野物語を語り継ぐ「遠野市の語り部」と西米良の民話を語り継ぐ「西米良村語り部の会」が互いに披露したり・・・と、様々な角度から互いの文化・歴史・風土を学び合っています。でも、一番の学び合うのは 『まごころ』 でしょうか。

 

2月19日(土)から2月21日(月)まで、この岩手県遠野市を訪問しました。

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西米良村から引率担当の私を含めて7名。

途中から、熊本県菊池市も合流し、約30名での訪問です。

 

西米良から遥か離れた東北の地。

マイクロバス・飛行機・モノレール・JR山手線・新幹線・・・・・2泊3日の旅でありながら、片道10時間半の長旅です。

 

遠野市から車で約1時間のところにある 「新花巻駅」 に着くと、遠野市から市役所の方や、交流の会の皆さんが多数、迎えにきてくださり、遠野市内の道中、最初から最後まで同行しお世話をしてくださいました。

旅の間で、見たこと、聞いたこと、味わったもの・・・書いていると3月中に終わらないので省略します。

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旅の間で、「感じたこと」

それは、 『 一期一会 』 です。

 

遠野に訪問する「西米良村ふるさと交流の会」のメンバーの多くは、60代から70代。

高齢化が進んでいるので当然です。

片道10時間半の旅は、そうそう簡単にできません。

同じことは、西米良に訪問してくださる遠野市側にも言えます。

 

新花巻駅での別れ際、「西米良村ふるさと交流の会」のメンバーと、「遠野市ときめら会」のメンバーとの間で、

「もう一度だけ、もう一度だけ、会いましょう。元気でいれば必ずあえるから。元気でいられるように頑張りましょう。」

という会話があったようです。

 

 

 

いつか言うつもり、次に会ったときに言うつもりの「ありがとう」は、今しか言えないかもしれません。

「次がある、いつでもできる」と思って接するのと、「これが最後かもしれない」と思って接するのとでは、人に対しても物事に対しても違うと思いませんか。

 

そう考えると、私にとっての2011年3月1日、「今日という日」、「今」は、一生にたった一度だけ。

どんなに取り戻したくても、取り戻せない時間です。

「今」を大事にしないといけないなあと思ったところでした。

 

 

PS 余談ではありますが、私が一期一会と共通するところがあるなあと思うものに、

『ずーっと ずっと 大好きだよ』  ハンス・ウィルヘルム作

という絵本があります。

大学2年の時、講義でこの絵本を読み、講義中にもかかわらず号泣した絵本です。

今では、小学1年生の国語の教科書にのっているようです。

機会があったら読んでみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日時:2011年3月 1日 12:00  投稿者:西米良駐在員

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